2025年12月28日  「神に愛される人は叱られ鍛えられる」
          ヨハネの黙示録 3章19節
1.ヨハネは7教会に送られた主の言葉を聴いた
@まったく罪を責められていなかった2つの教会 [◎]
(2)スミルナ:苦難を決して恐れてはいけない(黙2:8-11) (6)フィラデルフィア:わたしの言葉を守った(3:7-13)
Aはじめに褒められつつも罪を責められた3つの教会[△]
(1)エフェソ:よく忍耐→初めのころの愛から離れた(2:1-7) (3)ペルガモン:信仰を捨てず→ニコライ派混在(2:12-17) (4)ティアティラ:愛,…,忍耐→イゼベル放置(2:18-29)
B罪を責められることが中心だった2つの教会 [×]
(5)サルディス:生きているようで実は死んでいる (3:1-6) (7)ラオディキア:冷たくもなく熱くもない (3:14-22) 罪だけ
2.イエスはラオディキア教会を見捨てておられなかった
@ラオディキア教会の霊的状態はひどかった←霊的盲目
 物質的:金持ちで満ち足り何一つ必要な物はない状態  霊的:惨め、哀れ、貧しい、目が見えない、裸の状態  物質的充足が逆に霊的悲惨さを招いてしまっていた
Aイエスは教会の霊的状況を的確に指摘 (黙3:15-16)
  「冷たくもなく熱くもない。なまぬるいので吐き出そう」  ヒエラポリス:熱い温泉,コロサイ:冷たい飲料水の水源
B生ぬるかった教会を叱咤し悔い改めに導いている
 生ぬるい=神から離れ霊的盲目→神の御心がわからず  →御心が行えない→神の役に立たない≠あるべき姿  熱心に努めよ悔い改めよ(3:19) 物質から神へ方向転換
3.神は愛する子を必ず叱り鍛えられる
@私たちを罪から離れさせるためには厳しさが必要
 天国では罪から解放されているので厳しさは必要ない  地上では罪の性質が残存しているので厳しさが必要  真実な愛には罪に対する厳しさが必ず伴っているはず
A父は愛する子を訓練するが神も愛する子を訓練する
 父親に訓練されない子はいない (ヘブ12:7-15)  「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。」  鍛錬は私たちが「義」に生きられるようにする→「聖化」
B神は私たちに試練となるような状況を与え鍛えられる
 自分にとって嫌な状況こそ神の訓練の場→鍛えられる  自分の中にある罪に気が付き、悔い改めに導かれる  罪から離れ→聖くされ→神の力を受け→強くされ→役立
むすび.困難や嫌な目に会うことこそ神からの愛の鍛錬
(例) 敵対されなければ「敵を愛せない自分」に気付けない  気付けて初めて、悔い改めて愛を求めて祈る事ができる