1.ヨハネは7教会に送られた主の言葉を聴いた@まったく罪を責められていなかった2つの教会 [◎](2)スミルナ:苦難を決して恐れてはいけない(黙2:8-11) (6)フィラデルフィア:わたしの言葉を守った(3:7-13)Aはじめに褒められつつも罪を責められた3つの教会[△](1)エフェソ:よく忍耐→初めのころの愛から離れた(2:1-7) (3)ペルガモン:信仰を捨てず→ニコライ派混在(2:12-17) (4)ティアティラ:愛,…,忍耐→イゼベル放置(2:18-29)B罪を責められることが中心だった2つの教会 [×](5)サルディス:生きているようで実は死んでいる (3:1-6) (7)ラオディキア:冷たくもなく熱くもない (3:14-22) 罪だけ2.イエスはラオディキア教会を見捨てておられなかった@ラオディキア教会の霊的状態はひどかった←霊的盲目物質的:金持ちで満ち足り何一つ必要な物はない状態 霊的:惨め、哀れ、貧しい、目が見えない、裸の状態 物質的充足が逆に霊的悲惨さを招いてしまっていたAイエスは教会の霊的状況を的確に指摘 (黙3:15-16)「冷たくもなく熱くもない。なまぬるいので吐き出そう」 ヒエラポリス:熱い温泉,コロサイ:冷たい飲料水の水源B生ぬるかった教会を叱咤し悔い改めに導いている生ぬるい=神から離れ霊的盲目→神の御心がわからず →御心が行えない→神の役に立たない≠あるべき姿 熱心に努めよ悔い改めよ(3:19) 物質から神へ方向転換3.神は愛する子を必ず叱り鍛えられる@私たちを罪から離れさせるためには厳しさが必要天国では罪から解放されているので厳しさは必要ない 地上では罪の性質が残存しているので厳しさが必要 真実な愛には罪に対する厳しさが必ず伴っているはずA父は愛する子を訓練するが神も愛する子を訓練する父親に訓練されない子はいない (ヘブ12:7-15) 「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。」 鍛錬は私たちが「義」に生きられるようにする→「聖化」B神は私たちに試練となるような状況を与え鍛えられる自分にとって嫌な状況こそ神の訓練の場→鍛えられる 自分の中にある罪に気が付き、悔い改めに導かれる 罪から離れ→聖くされ→神の力を受け→強くされ→役立むすび.困難や嫌な目に会うことこそ神からの愛の鍛錬(例) 敵対されなければ「敵を愛せない自分」に気付けない 気付けて初めて、悔い改めて愛を求めて祈る事ができる