2026年2月1日  「ヨブは莫大な富の中で聖く生きていた」
          ヨブ記 1章1〜5節
1.ヨブは当時の大富豪だった 大企業のCEO的存在
@ヨブの財産は膨大で使用人も非常に多かった
 羊七千匹,らくだ三千頭,牛五百くびき,雌ろば五百頭  使用人は少なくとも数百人レベル→組織化された形態  大きな家に広い庭があるというレベルではなかった
Aヨブの家は産業の総合拠点のような形態 今の大企業
 単に多くの家畜を飼っていたということではない  家畜を飼って楽しむのではなく、家畜を実用的に活用していた  乗り物だったり農作業用の動力源だったり食糧や衣料の原材料だったり  運輸:らくだは現代のトラック3000台、ろばは乗用車500台 今の自動車産業  農業:牛はトラクター500台相当,500軛が耕す広大な畑で農産物生産  衣料:羊毛はアパレル産業,畜産:羊の肉,牛の乳 食品産業
Bいわゆる「ヨブシティ」のような一つの町を形成していた
 多くの使用人たちが住む家々が連なり、広大な牧場と家畜小屋  膨大な量の餌や水の入手、それらの運搬。排せつ物の処理設備  広大な畑と牧場をつなぐ道などのインフラ  必要とされる各種の運搬器具などの備品や製品の製造  羊毛処理施設、農作物の倉庫、餌の保管庫  家畜や畑や産物を管理するシステム,他地域との商取引
2.多くの富を持っていても正しく神を畏れて生きられる
@多くの財産や富が人を神から引き離すのではない
 ヨブは多くの財産を持っていたが、正しく神を畏れ生きていた  それも「地上に彼ほどの者はいまい」と神に言われる程の正しさ  それ程の富に囲まれながらも、貧しい人々にも勝る正しさを持っていた  神にしっかり仕えながら、多くの富を持つ事は可能  持ち物や財産の問題ではなく心の問題。心が神中心であれば両立は可能  「多くの富を持つと、必ず神から離れてしまう」という短絡的考え方は誤り
A貧しくなければ聖く生きられないのではない 貧困≠聖
 「聖く貧しく生きよ」とは命じられていない。貧しさと聖さは無関係  富んでいても聖く生きられる、貧しくても悪に陥ることもある  与える方が幸い (使徒20:35)←貧しくて人に与える物がなければ不可能←富が必要
B神が富ませて下さったと感謝して愛のために富を使う
 主は貧しくしまた富ませ低くしまた高めて下さる(サ上2:7)  「富ませてくださったのは神だ」と自分を低くすることが重要  自分の力で富を得たかのように思わずに、今ある富は神の恵みだと感謝する  神が与えて下さった富を正しく使って聖く生きてゆく
3.富に対する正しい対応が必要とされている
@富の危険性を知る 富は神の座を奪いやすい
 富が神に置き換わらないように!気を付ける  ◇富に仕えない →富を得るための人生にならないように  イエス「富と神とに兼ね仕えられない」 (マタ6:19-24)  神に仕えると、神が豊かにして下さり富が与えられる  富に仕えると、富を与えて下さる神から遠ざかることになる  ◇富の誘惑に負けない →「もっとほしいもっともっとほしい」にならないように  富の誘惑が御言葉を覆いふさぐ (マタ13:22)  富の誘惑に負けると、御言葉から遠ざかってしまう  せっかく御言葉の種が心に蒔かれても、目を出さず育たず実を結ばない  ◇富を安心の土台としない →お金があるから大丈夫だと思わない  富んでいるものは救われにくい (マタ19:20-24)  人は多くの富を持つと、その富を安心の土台としてしまう  富を安心の土台とすると、真の安心を与える神を求めなくなってしまう
A富を神よりも優先しない 神の国と神の義をまず求める
 ×富が行動の動機⇔〇神の力を信頼し神の力を求める   ×「お金があれば何でも買えて何でもできる、だから行動に移そう!神の力など要らない」   〇「神に頼れば何でもできる、お金や持ち物によらない。だから行動に移そう!」  ×富に頼る⇔〇神により頼む 豊作の例 (ルカ12:18-19)   ×「お金がたくさんあるからもう大丈夫」   〇「神がおられるから大丈夫。お金があってもなくても関係ない」  ×富を誇る⇔自分を誇らず神を誇りとして神に栄光を帰す(マル12:41)   ×「私は多くの財産を持っているから素晴らしい人間だ、すごいだろう!」エリート意識   〇「神こそ素晴らしいお方。神は私に多くの富を与えて下さるお方」
B富は隣人の必要のために用いる
 ザアカイ「財産の半分を貧しい人に施します」(ルカ19:8)  与える人生こそが真に幸いな人生  富は自分のためにではなく、隣人のためにこそ使うもの  富だけでなく自分の才能や能力、経験や知識、持てるすべてを隣人を愛するために使う  天国に富を持って行くことはできないが、富を用いて隣人を愛したその愛は天でも続く  富が地上で終わるものだという意識を常に持っておく
むすび.富んでいても神の助けによって聖く生きられる!
 聖く正しく生きることは、神の助けによって可能になる  ヨブに力があったわけでなく、神がヨブを助けておられた  多くの富があっても、ヨブは富に依存せずに神により頼んで生きた  神により頼むヨブを、神が助けておられた  神が与えて下さった富を楽しみ富を分かち合って生きる 喜びと愛の人生を生きる  富を隣人に与えるために使う=愛  聖くなるために富を捨てなければならないのではなく  多くの富を持っていても聖い生き方はできる  聖い生き方は貧しくても富んでいても神の助けによって可能!  富は神が与えて下さるもの  神よりも富を求めるのではなく、神を求めて富を神からいただく  神から受け取った富を誇らず、富に頼らず、富に仕えず  富に依存せず、支配されずに、神と隣人のために富を大いに用いて愛に生きていこう