「EARCを受けて… NCへの期待」 大嶋重徳主事

「X-tension -Let us start rebuilding-」

 これがEARC2008のテーマ。私達が真剣に信仰生活を送るとき、そこに緊張(tension)が生まれる。キリスト者として生きることは、平穏無事に毎日を過ごせるようになることではない。この地上でキリスト者として生きることは、なにかしら(X)のtensionを伴っている。罪との戦いにおけるtension、国と国との間におけるtension、学内で伝道をしていく時に生まれるtension…。それらのtensionを抱えて生きることこそ、キリスト(X)が私達に与えられた使命であり、神の国の拡大(extension)となる。私達キリスト者はtensionを抱えつつ、聖書的世界観、歴史観を形成しつつ遣わされた場での再建に取り組む。聖書講解で学んだあのネヘミヤのように。これがEARCで受け取った私達の恵み。

 EARCを終えて一年がたった。今、私達が今一度、覚えておかないといけないことがある。このtensionを抱えて生きることへと突き動かす恵みのことだ。Tension(緊張)という響きは、暫しネガティブなイメージを与え、重苦しい雰囲気をもたらす。時に眉間にしわを寄せた気味の悪いキリスト者のことをイメージしてしまいやすい。もちろんキリストに従う歩みに苦悩と葛藤はつきものだ。しかしX(キリスト)のtensionを生きる行き先にあるものは、あのキリストのいのちに生かされること。そこにあるのは福音の喜び。十字架さえも耐え忍んでくださった、あのキリストに従う恵みに満ち溢れた場所へと私達は向かっている。「キリストに生かされて」こそ、私達はtensionに生きることができる。そして私達が再建へと踏み出す一歩が向かう先にあるものは、キリストに生かされた者達が形成する「キリストのからだ」なる共同体の形成である。EARCと繋がっているNC。いや既にNCのテーマへと向かっていたEARCからの連続線がここにある。
 
 NCは全国のキリスト者の県別祈祷会、ブロック祈祷会である。NCは白黒の文字であった祈祷課題が、鮮やかに色づき、地区に帰ってからも具体的なあの人が思い浮かぶカラー(人格的)の祈りへと変えられる。そんな全国大の祈りの中に身を置くとき、私達は私達を出会わせてくださった唯一のお方、イエスキリストを思い浮かべるだろう。全国各地区の祈りの課題が自分の学内の祈りとそれほど変わらないことを知った時、キリストのからだを駆け巡る祈りという血液の流れを思うだろう。そしてキリストに生かされているリアリティを覚える筈だ。

 EARCには参加を明らかに出来ないムーブメントからの参加もあり、KGK学生達はそのような状況を抱えた国の参加者と、膝と膝をつき合わせ彼らのために、自分たちのために真剣に祈りあう機会を持った。NCでは彼らがゲストとしてまたやって来る。NCの祈りが世界へと繋がる時となる。「キリストに生かされて」全国大、世界大のキリストのからだを体感したいと思う。

(PILE UP第3号より)

「歴史から振り返るNC」 山崎龍一総主事代行
 KGKは60年以上前、1人の学生の救われた喜びと祈りから始まりました。小さな第一歩を神様は祝福し、歴史の中で日本全国に広がったのです。1973年にはIFESの大会に初めて公式参加し、広がりは世界へと視野が広げられてきました。最初の全国集会は1962年、22大学から100名の参加でした。その後1967年に「歴史的信仰と我らの使命」として開催され、KGK運動の広がりと深みへとこぎ出す一歩を踏み出したのです。折しも世の中では戦後の安保闘争に世論が沸き、社会の影響を受けたKGKは全国集会も中断してしまいました。(注1)
 
 その後、安保闘争によって学内活動にまで受けた打撃の痛みを拾うようにして、1973年「新しき地に」と題し163名が集まり、現在の全国集会の原点が確立しました。当時の準備委員長は全国集会の目的を次のように語っています。1)全国的交わりの回復、2)学生伝道の見直し、3)KGK運動の深化(卒業生に浸透する運動に)、4)目を世界に。その後のKGKの歴史を見渡すと、全国集会とはKGK運動の方向性を定める学生の交わりとなってきました。

 1973年NC準備委員長の語った言葉のように、交わりは「回復」にとどまらず、97年NCに参加した沖縄の学生が帰る途中の羽田空港で祈ったことが地区成立の原点となったように、全国に広がりました。NCは大規模の集会でありながら常に「学内活動」を励ましてきました。運動の深化という視点では、97NCでは君が代・日の丸を伴う「朝の集い」をめぐっての信仰的思索を深め、教会の歴史の学びも深まり、KGK運動がキリスト教的な世界観・歴史観を確立する運動としての位置づけもなされてきました。KGK60周年記念事業として卒業生会の成熟に向けてスタートしようとしています。昨年は、KGKの歴史上はじめてのEARCが日本開催され、目を世界に向けるKGKの土台が確立してきました。 その歴史の中で、NCのテーマは常に学内伝道と世界的視野を視点に入れながら、キリスト者学生の生き方を問うものでした。今回のテーマ「キリストに生かされて」も、「救い」「献身」「派遣」という視点でのKGK運動の深化が、世界と歴史への広がりとともにKGK運動の基礎を築くものとなるようにと期待しています。
 
注1)旧日米安全保障条約:日本を占領していたアメリカ軍は、在日米軍となり、継続して日本に駐留する事が可能となった。
安保闘争とは、1959年から1960年、1970年の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する労働者・学生・市民が参加した日本史上で空前の規模の反戦・平和運動であると同時に、火炎瓶や鉄パイプで暴力を振るう暴動・紛争という側面も持っていた。


(PILE UP第2号より)

「なぜNCか」 安藤理恵子主事

 私が始めてNCに参加したのは2年生の終わりの3月でした。以来何度なくNCに参加してきましたが、同じ雰囲気、同じ内容のNCに出会うことはありませんでした。NCではいつもその時代の学生の持っている恵みと課題が表現され、キリストのからだの部分的な営みが有機的に果たされてきました。来年3月、みなさんに会えるであろうNCに共に期待して備えるために「今、なぜNCか」を一緒に確認しましょう。

1. NCにおいて、KGK運動の目的と原動力を全国規模で確認できる
 61年の間にKGK運動が全国に展開したのは、各地区の夏期学校や全国集会に参加したひとりの学生の心に主が燃える志を与え続けてきたからです。キリスト者の交わりは志を伝染させます。KGK運動に十分に取り組んできたと自負するあなたほど、NCの学びと交わりの中で本来的な目的と原動力を取り戻すことでしょう。十分にわからないままでKGKに加わっているあなたには、なぜ先輩たちが熱心に活動していたのか、その謎が解けるでしょう。KGK運動は日本の学生社会における宣教のために主が起こされた献身運動です。NCはその一端の担い手が自分自身であることにあなたが気づく機会です。

2. NCにおいて、異なる文化における主の働きの豊かさを見ることができる
全国9地区の違う地域文化の中で同じ時代を生きている仲間と出会うことによって、日本の広さと、そこで御業を行っている主の働きの豊かさを見ることができるでしょう。生身の友人が自分の言葉で分かち合ってくれる言葉は、本やネットで見る情報とは比較できない存在感であなたの心に印象深く残ることでしょう。あなたの言葉も人の心に残るのです。表面的な違いに気づくほどに、キリストにある一致の本当の意味を深めることができるはずです。

3. NCにおいて、キリストのための労苦と戦いを共有し励まし合うことができる
 あなたがもし主のために(小さなことであっても)格闘している人なら、その労苦と重荷に共感できる信仰者との交わりほど、あなたに安らかな新しい意欲を与えるものはありません。学内で証し人として立つことは、日本ではどこの地区においても多くの場合「ひとりで始める」ことです。NCにはその「ひとり」たちが集まります。NCはKGKの全国的交わりであり、「ひとり」同志の交わりの豊かさの中で建て上げられるという意味において、他の大集会とは趣が異なります。そのNCを実現するのは、準備委員ではなく各地区のKGKメンバーの祈りです。準備段階の今からともに重荷を担い、来年の交わりの実現を待ち望みましょう。

(PILE UP第1号より)