神様の計画変更?(創世記46:1~8)8月4日のメッセージから

この46章はヤコブがエジプトに下る際の神様からヤコブへのお告げが記されています。前章で、実は数十年前に野で獣に殺されたと思っていた息子ヨセフが実は生きていたことをしります。しかもエジプトで宰相を務めており、飢饉に苦しむ実家の父ヤコブたちの窮状を慮ったヨセフは彼らを養いたいと申し出てくれて、一族まとめてエジプトに引っ越してくるようにと車を出してくれました。
そして、ベエルシェバまで来た時、ヤコブは祭壇でいけにえを捧げます。そして、神様は恐れずにエジプトに下れと仰ってくださいました。ここから私たちは何を学ぶべきでしょうか。恐れずに進めと言うことでしょうか?確かに、若いころのヤコブはそうでした。伯父をだまし、父をだまし、兄をだまし、自分の幸福だけを求めました。そして、その為に神様の祝福を求めるような男でした。だから、ひいきにしていた息子が実は生きていて、車で迎えに来てくれた。昔のヤコブなら、二も三もなく喜び勇んでエジプトに下ったでしょう。しかし、神様はヤコブにエジプトに下ることを恐れるなと仰った。裏を返せばこの時、ヤコブは恐れていた。エジプトにいって息子に会いたい気持ちはやまやまなのに、何か別の理由で恐れていた。実はこのベエル・シェバはヤコブの父であるイサクが建てた祭壇なのです。そして、イサクは創世記26章で同じように飢饉があった時約束の地であるこのカナンの地を離れようとした時に、神様に「約束の地に留まるように」とくぎを刺されたのです。そして、そもそも約束の地は父イサクのさらに父である(つまりヤコブにとっては祖父である)アブラハムにウル(現在のイラク)から導き出されて託された土地です。そして、父にも祖父にもこの約束の地においてあなたの子孫を増やして祝福すると神様は仰ったのです。であるならば、常識的に考えて、ヤコブはこの約束の地カナンに留まるべきかそれとも離れるべきかどちらでしょうか?そうです。留まるべきなのです。そして、このカナンの地が神様から託されたものなのだということは父や祖父から何回も聞かされていたはずなのです。だからこそヤコブは「エジプトに下ることを恐れた」のです。
例えば教会の移転を例に考えた時、私が移転したくなければ創世記26章を持ちだして留まるようにと教えられているということができてしまいます。逆に私が移転したければ創世記46章を用いて今の地を離れることが御心だと説教することもできてしまいます。しかし、御心はそもそもコロコロ変わるようなものではありません。聖書の我田引水は絶対にあってはいけないことなのです。この創世記46章から教えられるべきことは(1)聖書の御言葉や過去の先達がどのように判断したかをみて「常識的に判断すること」、(2)神様を常に恐れ、御心を求めること、そしてその上で、(3)超自然的な不可知的な神の御心が存在する余地を否定しないことなのです。事実神様の御計画は一度ヤコブを約束の地から離れさせて400年後にモーセ・ヨシュアの時に再び約束の地に戻させるというその時の人間には到底考えの及びもしないことだったのですから・・・


9月15日の予定

9月15日は大東キリストチャペル第三日曜日ですので礼拝時間は午前10:30~です。皆様お間違えのないようにお越しください。また聖書メッセージはKGK主事で阿倍野キリスト集会の老松望さんに来て頂いて取りついで頂きます。
聖書個所は詩篇115:1~18で、
タイトルは「全能の父なる神を信ず」です。
皆様お誘い合わせのうえ、是非お越しください。

なお15日は東花園キリストチャペルでも礼拝が持たれます。
14:00からです。
こちらの集会での聖書個所は
ルカの福音書19:1~10で、
タイトルは「取税人のかしらザアカイの救い」です。
東大阪近辺にお住まいの方は是非こちらにもお越しください。