2014年4月27日の予定

来週の日曜日4月27日のメッセージの聖書個所とタイトルは

マタイの福音書 27:45~56 で「キリスト降架」です。

有名な巨匠ルーベンスの絵「キリスト降架」はこの聖書個所を表わしています。

「フランダースの犬」に出てくる主人公ネロは、「この絵を一目見ることが叶うなら死んでも構わない」と言いました。そして、最後にこの絵を見て名犬パトラッシュと共に絶命してしまうのです。どうして、こんなおどろおどろしい絵をネロはそうまでしてみたいと思ったのでしょうか?

イースターの翌週である27日はもう少し詳しくイエス・キリストの十字架について学んでみながら、ネロが「見たい」と思った動機にも触れたいと思います。

皆様お誘い合わせの上是非お越しください。

キリスト降架

 ルーベンス作『キリスト降架』


ヨルダン河畔の石塚(ヨシュア4:1~7)2014年3月2日のメッセージから

私たちは聖書の中で奇跡の記事に出くわすとその奇跡がどのようなものだったかに注目しがちです。が、往々にして聖書の奇跡の記事はあっさりしています。そしてむしろ別のところに着目せよといいうのです。本日のテキストは、イスラエルの数十万の民が、雨季の増水したヨルダン河を神の奇跡によって渡らせていただくという奇跡の直後のお話です。ここで、神は出来事を通じて川床の12の石を取り、対岸に石塚を築いて顕彰せよ、覚えよというのです。(7節に出てくる「記念」は「覚える」という言葉から派生しています)。神は全能なるお方ですから、神の民をヨルダン河の対岸に渡らせるに際して、エリヤになさったように空中浮遊で、イエス様がしたように水上歩行で、あるいはコラの子を呑み込んだ時のように地中を通って等、あらゆる奇跡を採ることもできたはずです。しかし、神はそれらの方法では渡河させませんでした。主は河をせき止め、その乾いた河底を歩かせるという方法を選ばれました。そして、主はこの出来事を末代まで覚え続けよと仰るのです。主はなぜ、水をせき止めて河底を歩かせたと言えば、それは、このヨルダン渡河の奇跡そのものがさらに40年前にあった紅海渡渉の奇跡を覚えさせるためであったのは明白です。
先日、私は沖縄から来た学生が、「大阪に来て2年になるが大阪城をまだ見たことがない」と言われたので、放課後学生を伴って共に大阪城公園を見学に行きました。今年(2014年)は大阪の陣(1614年)から400年記念ということで、園内にはのぼりがたてられ、大変賑わっていました。日本人観光客の他にも中国から来られた観光客もたくさんいらっしゃいました。来園者はこぞって、大阪城の天守閣の前で記念撮影をしていましたが、私の興味はそこにはありませんでした。私の視線は、その大天守の真横にある公園内の櫓群との調和を乱す場違いな洋館に注がれていました。この天守閣横の一際異彩を放つ洋館はかつては大阪市立博物館、大阪府警本部としても転用されたこともありましたが、もとは旧陸軍第四司令部でありました。大阪城公園は大阪人の誇りでありますが、実は70年前の戦争の記憶も残しているのです。城内の石垣には米軍の機銃掃射の後もあります。そして、この両者に共通するものと言えば戦争であり、この記念公園は400年前の戦争と70年前の戦争の戦跡なのであります。

主が、ヨルダン河で覚えるように仰ったのはいったいなんだったのでしょう。7節の言葉をみると、それは「奇跡の凄さ」「奇跡の出来事」を覚えよといっているのではなく、出エジプトからカナン入植に至るまで、一貫して神が神の民を導き続け、神の民を救おうという意思を持ち続け、力強く推進し続けている「神が神の民を救おうと決められているその意志の確かさ」、「救いの歴史そのもの」を覚えよとおっしゃっているのです。

私たちが大阪城に行った時、停めた駐車場は公園の東側、森の宮の方でした。そこにはかつて大阪砲兵工廠があり、東洋一の軍需工場がありました。実はテレビでよく見る靖国神社の世界最大の青銅製の大鳥居も当地で作られたのです。この軍産複合体から生まれた企業の一つが今はエアコンメーカーに転身していますが、その一方で今も自衛隊や警察に鉄砲の弾を供給する「いわゆる特定秘密」を扱う民間企業であります。陸軍第四師団は西南戦争でも多くの殉職者を出し、靖国に祭られ、終戦の前日1945年8月14日にも空襲を受け、その時に死んだ軍属も靖国に祭られ、京橋駅の南口には慰霊碑があります。過去は今につながっています。

ヨルダン渡河は契約の箱を担いだ祭司がまだ奇跡が起こる前の河に入水するという神の救いの約束を前にした人間の側の応答があります。また、紅海渡渉も鴨居に羊の血を塗るという人間の側の応答という、神の一方的な恵みによる救済とそれに対する人間の側の応答を記念するものです。特に、過越しの食事は形を変えて聖餐式の形で現在まで記念とされています。そして、この石塚はあなたの子孫がなぜそんなことをするのかと問うのなら次のように答えよという形で未来に告げ知らせることを示唆しています。聖餐式も主が再び来られるまで続けよと聖書に命令されており、過去から現在、そして未来へと覚え続けるものであるといわれています。記念は過去は現在に、現在は未来につながっています。

しかし、それだけなら、大阪城公園と石塚の類似点を述べた雑学で終わってしまう。ヨルダン川で神の民が覚えたものや、聖餐式で、私たちが覚えるべきは、大阪城や靖国といったものとは構造からして決定的に違うのです。

東大の高橋哲也教授は「靖国は悲しみを喜びに変える感情の錬金術だ」と表現されました。そのとおりです。なぜ日本遺族会が、あそこまで首相の靖国参拝にこだわるのか?かけがえのない肉親を亡くされたご遺族の胸中を察すればその思いいかほどかと思いますが、まさにそこにこそ錬金術が働いているのです。それは自分の父、夫、息子、兄弟を戦地に送り出し戦死させたことが、良かったこととして顕彰され続けなければ、自らの人生の否定になるからです。自分が自分の肉親を死に追いやったという最悪の出来事を正当化してもわなければ、自らの実存に関わることだからなのです。あなたが夫を戦地へ送ったのは侵略であり間違いだった。その後未亡人となって苦労したのも本当は必要なかった…。そんなこと遺族に向って言えますか?私も当事者であれば認めがたいことでしょう。

靖国神社は別に由緒正しき何百年も前からあった神社ではありません。国策として、「殉職した人を英霊とし神様にしてしまう」ことにした、明治5年に人が作ったシステムなのです。神からではなくて人から要請による記念施設なのです。これは靖国に限らず、この世の多くの宗教は人間の側からの要請に基づいて作られまた、おぼえられているのです。そして、それらは要請に応えるために義務化されていきます。

しかし、このヨルダン河畔の石塚は違う。私たちが覚える主の晩餐は違うのです。神が「覚えよ」と仰ったのは神がさらに昔のモーセの時、アブラハムの時から、いや、極言すれば最初の人アダムが罪を犯したその瞬間から、何としても人間を救おうという、神の意思を人に覚えさせようとして下さった神の要請に基づく記念なのです。しかも、それは、人が覚えなければ救われないといったあやふやのものではなくて、人の意志を超えて、人の記憶を凌駕して神が「私の民を私は救う」という神の御心は確固としてあるのです。そして、それは、人間の側が弱く、不信仰で不安になって救いの忘れて絶望に陥ってしまわないためのものなのです。問題は人間の側にあり、人間側が必要なことであるにもかかわらず神の側から要請されているのです。この救いは確かなもので契約期間が永遠であるにも関わらず、神の側から要請され、人の救いに至る確信を堅くするために(そのたらずまいを補うために)、年ごとに、日ごとに覚えさせていただくものなのです。

今日、兄弟姉妹が聖餐式のテーブルにともにつくことができているのは、またこの食卓に招かれているのは、私たちの弱い信仰を補強して下さるために神様の側からご用意して下さった「恵みの手段」なのです。感謝して聖餐式に与りましょう。

ヨルダン河を渡る聖櫃

ジェームズ・ティソ作『ヨルダン川を渡る聖櫃』


2014年4月20日(イースター)の予定

今度の日曜日、4月20日は2014年のイースター(復活祭)です。欧米をはじめとするキリスト教圏ではクリスマス以上にこの日をお祝いし、イエス・キリストの十字架を覚え、また復活を喜びます。クリスチャンは毎週日曜日に日曜礼拝に集まっていますが、当大東キリストチャペルでは、この日は午前10:30~特別に、キリスト教は初めて、今すぐに入信するつもりはないけどキリスト教に興味があるという方のための集会を企画致しました。午前中は初心者でもわかる聖書メッセージと、讃美歌を共に歌うひと時とし、また午後からはお昼に軽食と歓談の時をご用意しています。(途中退席可、お昼の軽食代は100円で他に持ち物等は必要ありません。)当方からの、無理な宗教の勧誘は致しませんので、ぜひ一度、キリスト教や聖書に興味のある方は2014年4月20日に大東キリストチャペルまで足をお運びください。教会員一同、あなたの来会を心よりお待ちしています。

※毎月第3週は午後から東花園でも集会を持っていますが、この日は合同礼拝と致します。そのため東花園の集会は今月はありません。あらかじめご了承ください。2014年イースター案内


2014年4月13日の予定

来週4月13日は棕櫚の主日(Palm Sunday)です。一般にカトリック教会等では主イエスが十字架にかかって復活する一週間前の日曜日に、主イエスがイスラエルの都エルサレムに赴き、王様として群衆に迎え入れられた故事に基づくお祝いをします。

私たち、大東キリストチャペルは特に変わったことをせずにいつもどおり14:00からの礼拝です。

メッセージの題は『プライドが傷つけられた時の救い』(マタイ27:27~38)です。

キリストが王様として迎え入れられたことも確かに大切なのですが、私たちはその後の出来事を重視します。主イエスはそれから僅か一週間で罪人に定められ、あらん限りの侮辱をうけ、十字架刑という極刑に処されます。なぜ、彼は十字架にかからなければならなかったのか?また、皆さんは人から侮辱されてつらい思いをしたことがありませんか?そんなつらい思いをした時、どのようにしてそのつらさから脱出すればいいのか、そんなことをお話出来ればと考えています。皆さんお誘い合わせのうえ、ぜひお越しくださいませ。

キリストの嘲弄

ヘラルト・ファン・ホントホルスト作『キリストの嘲弄』