2015年4月5日の予定

来週の日曜日4月5日はイースターです。その日に合わせて洗礼式をするため開場を変更して行います。来会予定の方は予め教会にお問い合わせください。

当日は 第一コリント書15:50~58

「キリストによって私たちは死に勝利した」

というお話がなされます。

ジョルジョ・ヴァルサーリ作『キリストの復活』

ジョルジョ・ヴァルサーリ作『キリストの復活』


下水道工事が終了

一難去って、又一難?!ここ2週間ほど、日本で一番「臭い」教会だったかもしれません。浄化槽が下水道につながれないまま、数年間放置されていることがわかり、昨日から教会は下水道工事をしていました。

中古物件で増改築を繰り返していたため土の中の配管は業者さんも驚くような複雑なものでしたが、無事に予定通り本日中に終わることができました。工事中は騒音や異臭等で近隣の方々をはじめ多くの方にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

明日3月29日の集会はいつも通り10:30~行います。

なお、再来週の日曜日4月5日(イースター)はその日に洗礼式があるため開場を変更して行います。来会予定の方は予め教会にお問い合わせください。

駐車場工事中

下水道工事中

下水道工事の様子

下水道工事の様子2


別訳・恵みの上にさらに恵みを(ヨハネ1:15~17)2014年8月24日のメッセージから

本日の説教題とテキストをみて、多くのクリスチャンは思ったでしょう。「また、恵みか」と(笑)。いえ、メッセージを準備した私自身そのの思いがよぎったことを正直に吐露しなければなりません。私の母教会が厳格であったこともあってか、あるいは私の元来の性格もあってか、「恵み」と利くと、何か生ぬるいような、甘いような印象を受けてしまうのです。皆さんは「恵みの上に更に恵みを」と聞くとどのような印象を受けるでしょうか?何かしら北風と太陽の寓話に出てくる「太陽」のような印象を受けないでしょうか?しかし、福音書記者ヨハネが言わんとすることはそれだけにはとどまらないのです。

当該箇所の別訳は「恵みに代わって恵みを」であり、同じような恵みが次から次へと押し寄せてくるというよりは、「恵み」は同じ「恵み」でも時間的に「先発の恵み」とは別の「後発の恵み」が迫ってきて、それが前の恵みを置き換わるのだというニュアンスがあるのです。実際前節では洗礼者ヨハネの発言を引用し、ヨハネ自身が「自分より後からくる人は自分よりも優れている」と到来するものの時間的先後を強調して言及しています。確かに洗礼者ヨハネの後から来られた主イエスキリストは優れています。なんてったて彼は唯一無二の救世主ですから・・・。しかし、それは直ちに洗礼者ヨハネが劣っていることを意味しません。洗礼者ヨハネは主イエスと比較の対象にすれば劣後するのかもしれませんが、それでも当の主イエスの発言をして、「女から生まれたものの中で(人類史上)彼(洗礼者ヨハネ)より優れたものはいません」と言わしめたのです。洗礼者ヨハネは旧約聖書の約束に基づいてきた最後にして最大の預言者でありました。ですから先に来ていたヨハネも十分優れた「恵み」なのです。

それら15、16節を踏まえたうえで17節を読みますと「モーセによって先に『律法』という恵みが私たちに与えられ、それだけでは留まらず、その律法の実現さえもイエスキリストを通じて後から来た更に優れた恵みが神ご自身の誠実によって成就したのだ」と読めるのです。律法ですら私たちとっては恵みなのです。

「福音と律法」というとどうしても福音がアメで律法がムチという枠組みで語られることが多いですが、聖書はそうは教えていません。ローマ書5:13によれば、律法がなければ私たちはそもそも神の前に罪ある存在であると認識すらできなかったとあります。

私が自らの感覚に反してでも努めて「恵み」を語るのは、人間の前に横たわる罪という問題は神の前に罪があることすら自覚できなくさせてしまう恐ろしい問題だからなのです。ムチを振りかざしてもムチが痛くて怖いものだと言う自覚さえ罪のためにマヒしてしまっているのです。冒頭の北風と太陽の寓話に当てはめれば「人は北風が吹けど寒いと認識できず、太陽が照り付けても暑いと認識できず、コートの着脱をできないまま、死に倒れてしまう存在だ」というのです。

恵みを強調するのはこの教会を甘く、放縦な教会にしようとするのではなくそれだけ罪の問題を深刻に捉えているからなのです。律法主義も、無律法主義も罪の問題を軽視しているという意味では同根ということができるでしょう。

聖書は神の高いハードル(律法)が書かれているだけでなくその実現を神ご自身が代行してくださったことまでが記されている幸いな書物です。恵み深い神様に感謝しましょう。

ルーカス・クラナッハ 作『 説教する洗礼者ヨハネ』

ルーカス・クラナッハ 作『 説教する洗礼者ヨハネ』


2015年3月29日の予定

来週の日曜日3月29日の大東の集会は午前10:30~です。

聖書個所はマルコ15章33~41節「『十字架』がキリスト教のシンボルなわけ」です。

皆様お間違えのないようにお越しくださいませ。

なお、再来週の日曜日4月5日はイースターでその日に洗礼式があるため開場を変更して行います。来会予定の方は予め教会にお問い合わせください。

今週の教会の前

今週の教会の前