2015年5月17日の予定

来週の日曜日5月17日の大東の集会は午前10:30~です。

聖書個所は第一歴代誌25章1~8節で「預言者サムエルの孫」というタイトルでお話します。

皆様お誘い合わせのうえお間違えのないようにお越しくださいませ。

ウィリアム・ホルマン・ハント作「モードリン・タワーの5月の朝」

ウィリアム・ホルマン・ハント作「モードリン・タワーの5月の朝」


主を覚え、主の死を告げ知らせる(Ⅰコリント11:17~34)2014年9月7日のメッセージから

本日のテキストは、最も読まれているであろう、聖餐式に関するみことばです。でも毎週読んでいても、わかったつもりでわかっていないことがあるのです。パウロは当時のコリント教会の主の晩餐、聖餐式のあり方について批判しています。その批判は2種類ありました。章末から推測するに

  1. 書面で直ちに是正しなければならない危急の問題と、
  2. 近日パウロがコリント教会訪問時に口頭で是正すべき些末な問題

です。そして、前者は「聖餐の時間を守ること」と「空腹を満たすための聖餐を教会でするな」と言うことに集約されます。これには捕捉説明が必要で、実は当時のコリント教会は聖餐式は本当に豪勢な空腹を満たせる食事(愛餐会)であったこと。さらには、愛餐会は当時のスタンダードであったこと、さらには私たちは良く主が最後の晩餐時に制定された形に聖餐を近づけようとしますが、その当時も儀式ではなく食事としての実態が伴っていたわけで「形だけみればよっぽど当時のコリント教会の方がその形に似ている」と言うことです。

パウロは空腹を満たす食事としての聖餐を禁止し、むしろ儀式化させることで(それは形骸化を決して意味しない)霊的な内実を保持しようとしたのです。その「霊的な内実」とは23~26節にある、主を覚え、主の死(の十字架)を告げ知らせることでした。ですから27節の「ふさわしくないまま」でというのは、「聖餐を受けるにふさわしくない罪を犯したままで」と読み込みがちですが、実は全く逆です。文脈に忠実に従うならそのようなふさわしくない罪人でさえ恵みによって救われ、主が受けよとおっしゃっている聖餐をあなた方で開始時間をバラバラにして受けれない人が出たり、持ち寄り制にして貧しい人が参加できなくなるような、「聖餐にふさわしくない障壁を残したままで式を執行する事」を禁じたものだったのです。

今朝も皆さんと聖餐式を通して主を覚え、主の十字架による死と、復活を告げ知らせる信仰に立ち返れることに感謝です。

エル・グレコ作「トレドの眺望」

エル・グレコ作「トレドの眺望」

 


2015年5月10日の予定

来週の日曜日5月10日の大東の集会は午後2:00~です。

聖書個所はマタイ15章21~28節「キリストを動かす母の愛」です。

皆様お誘い合わせのうえお間違えのないようにお越しくださいませ。

ジャン・ジェルマン・ドルーエ作『キリストにひざまづくカナンの女』

ジャン・ジェルマン・ドルーエ作『キリストにひざまづくカナンの女』