取税人のかしらザアカイ(ルカ19:1~10)2013年11月17日のメッセージから S兄による

第 1 節:主イエスは、エルサレムに向かって行く途中でした。

第2 節:「ザアカイ」という名前は、「義人」あるいは「きよい人」という意味です。彼は、「取税人のかしら」という立場を最大限に利用し、かなりの利幅を取って、「金持ち」になりました。

第3 節:ザアカイは、主「イエスがどんな方」であるかということに関心がありました。彼は、たましいに飢え渇きを覚えていたのでしょう。彼は、主「イエスがどんな方か見ようとし」ましたが、「背が低かったので、群衆のために見ることができませんでした」。

第4 節:ザアカイは、主イエスがどんな方であるかを見ようという気持ちを抑えられませんでした。彼は、周囲の目など全く気にすることなく、「前方に走り出て、いちじく桑の木に登」りました。彼は、「ちょうど」主「イエスがそこを通り過ぎようとしておられた」タイミングを見計らいました。

第5 節:「ちょうどそこに来られ」た主イエスは、木の上に登っていたザアカイに気づかれました。主イエスは、いちじく桑の木に登るという彼の奇抜な行動が好奇心からのものでないことにすぐに気づかれたのでしょう。そして、「上を見上げて」、「ザアカイ」と呼びかけられた後に、「急いで降りて来なさい。わたしはきょうあなたの家に泊まることにしてある」と言われました。これは、救い主なる方からの、何と幸いな招きでしょう。

第6 節:ザアカイは、自分の名前が呼ばれただけでも驚いたはずですが、きょう自分の家に主イエスがお泊まりになると聞いて、どれほど驚いたことでしょう。彼は、主イエスの命令に従って、「急いで降りて来」ました。そして、「大喜びで」主「イエスを迎え」ました。

第7 節:当時、ザアカイのような取税人はひどく嫌われていたので、人々は「つぶや」きました。人々は、主イエスの恵みや自分たちの罪深さを理解していませんでした。この地上で主イエスがだれの家に行かれたとしても、そこは「罪人のところ」でした。だからこそ、主イエスはこの世界に来られたのです。

第8 節:ザアカイの悔い改めは本物でした。以前のような金銭に対する執着心は、もはやなくなりました。彼は、「主よ」と呼びかけた後、自分の「財産の半分を貧しい人たちに施」す決意と、「だまし取った物は、四倍にして返」すという決意を言い表しました。しかも、それらを今すぐに実行するつもりでした。

第9 節:ザアカイが主イエスに対して言ったことば(施しや賠償の決意表明)は、「救い」の幸いな「結果」あるいは「証拠」でした。主イエスのことばに注目しましょう。①「きょう」。ザアカイの「救い」の原因は、ザアカイが「大喜びでイエスを迎えた」(6 節)こと、すなわち、主イエスを信じ、受け入れたことであると言えるでしょう。②「アブラハムの子」。アブラハムの信仰にならうことを意味しています。

第10 節:「失われた人を捜して救う」とは、主イエスの、何と幸いな使命でしょう。主イエスは、「失われた人」である「罪人」(7 節)の救いを実現するために、十字架にかかり死なれました。そして、今もなお、「失われた」罪人を「捜して」おられ、ご自分を信じ受け入れるすべての者を、一方的な恵みによって「救」ってくださいます。何と憐み深い救い主でしょう。

七つの大罪

ヒエロニムス・ボス作『七つの大罪』


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