世界で最初のクリスマスプレゼント(創世記3:14~20)2013年12月15日のメッセージから

息子が朝食の時に悪戯に遊び食べをして、朝の支度で極端に時間をとられることがあります。あまり彼に付き合うと保育園に連れて行く時間がなくなって、共働きの私たち夫婦は遅刻してしまいます。彼に「早く朝ごはん食べないと一人でお留守番よ」と警告しますが、知恵のついた彼は「そんなことは口先だけで実行されない」とタカをくくっています。

あまりに遊び食べが過ぎるので、一度朝食を抜くことも夫婦で話し合いました。

無制限に彼の遊び食べに付き合うと、私たち夫婦が職場に遅刻し、しいては仕事を失い、結局は彼を食べされられなくなってしまうのです。逆に、彼を一度、朝食抜きにして彼が遊び食べをやめてくれれば、私たち夫婦は働くことができて、彼を永続的に食べさせてあげることができます。

一時的に食べさせることが、その後、食べさせ続けることができなくなることになり、

一時的に食べさせないことが、その後、食べさせ続けることができることになるのです。

そんな親のジレンマなどお構いなしに彼は遊び食べを続けます。しかし、それは看過することは自分が食べることができなくなってしまうほどの大問題だとは思いもつかなない。また、仮に朝食抜きを実践すれば親に対して「不当である」と泣き叫ぶことでしょう。

多くの兄弟がひしめくベビーブームの時に生存競争を生き抜いてこられた年配の方にとってはまだまだ甘いとお叱りを受けそうです(笑)。しかし、「一時的に食べさせない」という決断をしたその時でさえ、子を罰することが主目的ではなく、むしろ子の成長を願い、子を生かすためであることは容易にご理解いただけるかと思います。そしてそれがわかれば、今日のテキストエデンの園の物語の神の真意を読み解くことができます。

なぜ、神は善悪の知識の木をおいたのか?なぜ、神に逆らうこともできる存在としてつくったのか?なぜ罰したのか?そのような問いが愚問であることに気づかされるはずです。

神は人をロボットのようには作られなかった。神は人を「神と対話し、自発的に神と共に歴史を紡ぎ合わせる存在」としてお創りになった。神は人にいつまでも「離乳食」だけを食べ続けることを望んでいない。そんな神の御心が今日のテキストからもわかるはずです。創世記の3章は楽園追放が記されています。罪を犯した、悪魔の象徴である蛇と男と女とが刑罰を宣告されるのでありますが、人に対しては極めて寛大な判決がなされているのです。

人は善悪の知識の木の実を食べた時、必ず死ぬ(原文では「死ぬ死ぬ」)と予告されたのに、実際は食べた瞬間に即死するわけでもなく、なんと数百年もの齢が与えられます。しかも、後の世において、「蛇の子孫(悪魔)の頭を人の子孫(後にそれが救世主メシアであることが明らかになる)がかかとで踏み砕く」と宣言されるのです。全世界が呪われるような大罪を行われたその矢先、人を悪魔の策略から解き放つ「救い」について言及しているのです。人に罰を宣告するその前に、既に人に対する救いを宣言されるのです。この大いなる恵みに対し、古代のクリスチャンたちはこの創世記3:15を原始福音(プロトエバンジェル)と言いました。

そう神様は有史以来、最初っから人を「救う気マンマン」なのです。そのことを人が忘れないように、エデンの園から出て行くアダムとエバに神様は皮の衣を着せて下さいました。この「着せる」という言葉は祭服を着ることを示唆する言葉であり、また皮ですから当然動物の犠牲があったことがうかがえます。

罰せられるような悪いことをした瞬間、犠牲によって身を保護するものを人にまとわらさせて下さった…。よく、聖書は神様からのラブレターであり、キリストこそが人類へのプレゼントだと言い習わされていますけども、聖書の冒頭創世記の3章の皮の衣こそ、救い主の到来を知らせる世界で最初のクリスマスプレゼントだったのです。

原罪と楽園追放ミケランジェロ作『原罪と楽園追放』


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