御霊に満たされる 2012年6月17日のメッセージから A.S氏による

私たちキリストを信じるものクリスチャンの成長は御霊なる神の御業です。本日の聖書箇所にもこのことが「御霊に満たされなさい」と書かれています。聖書の至る所に私たちのクリスチャンとしての歩みを実現してくださるのは、まさに私たちの内に住む御霊の業であるということが語られております。私たちの内に神様がおられる、そして私たちも神様の内にいます。これは御霊ご自身によることであります。この御霊の働き特に「御霊に満たされなさい」パウロが語っていることを共に学んでいきたいと思います。
テキストには「御霊に満たされなさい」と並行して「酒によってはいけません」(エペソ5:18)とあります。酒を飲まない人酔わない人には関係のない事として捉えてもよいのでしょうか。パウロは、飲酒に限ってこのようなことを言っているのではありません。ここではお酒は私たちを神様の御心から引き離す放蕩させるものがある、それに酔ってはいけません支配されてはいけませんという一例を挙げているのです。私たちはキリストに従うこと、交わりことを求めてその中で祝福されます。パウロはそこから引き離そうとするもの(飲酒を含めた一切のこと)がないかと問われているのです。
「御霊に満たされなさい」とは字義的に読めば「御霊に満たされ続けなさい」を意味します。これは御霊で満たされるではなく、「御霊によって」あるいは「御霊を通して」私たちは満たさるということです。では御霊を通して私たちに何を満たしてくださるのでしょう。それは「神の豊かさ」「キリストの豊かさ」なのです。私たちは神の素晴らしさキリストの素晴らしさを教えられていく、それは御霊の働きなのです。私たちは何もしなくてもよいのではなく、御言葉の素晴らしさを求める、神様に委ねることが必要であります。
私たちはこの「御霊に満たされる」ということを求めるうえで具体的にどうしたらよいでしょうか。一つは、御霊を悲しませないということです。これは御霊が私達に聖書を通して語ってくださるにもかかわらず、それに聞かない、勝手な解釈をする、心を閉ざすということです。もう一つはもっと積極的に私たちは御霊に満たされることを求めるうえで私たちの内に御霊がおられるということをいつも留意する必要があります。私たちは聖霊の宮であり神のものとされているのです。私たちのような罪人をキリストのものとされたということは義務ではなく祝福なのです。ですから私達には御霊が与えられている、私たちの内に住んでくださっているということを常に感謝し覚えそのことにふさわしく歩ませていただけるように神様に祈るものでありたいと思います。

 

使徒パウロの説教と遺跡

ジョバンニ・パオロ・パニーニ作『使途パウロの説教と遺跡』


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です