聖書にみる母の愛(出エジプト17:10~12)2014年5月11日のメッセージから

出エジプト記6章や民数記の26章をみると、モーセの母の名前がヨケベデであることが分かります。日本語であまり考えられない語感ですが、ヨ・カーボード(神に栄光あれ)という意味です。日本人女性ならさながら「栄子」さん、といったところでしょうか。ヨケベデの両親も神様に対する信仰を絶やさず持っていたので有りましょう。 しかし、彼女たちが生きた時代が決して楽な物ではありませんでした。400年前にヨセフがカナンの地からエジプトにやってきた時は目覚ましい功績をあげ、エジプトの宰相にまで登りつめ、エジプト人からも歓待されたであろうイスラエルでしたが、今は昔。王朝は交代し、ヨセフのことを知らない王がエジプトを治めることになりました。神様はエジプトの地でアブラハムに約束したとおり子孫を増やしてくださいましたが、その旺盛な人口増加率がエジプト人のそれを上回ることで、エジプト王はイスラエル人を警戒し、奴隷とし、男児は生まれてすぐに殺すようにと苛烈な間引き、産児制限政策を進めました。

ヨケベデはそんな時代でも神様を見上げて生きていました。人はどの星の元に生まれるか選ぶことができませんが、最初の人アダムが犯した罪の結果としてのこの世の悲惨を決して神に向けず、神を賛美、精いっぱい子どもを育てようとしました。時代が違えど、場所は違えど、母の愛は普遍的です。 モーセは生まれてすぐ殺されずに3ヶ月間かくまわれ、その後、匿いきれなくなったので、かごに入れて川に流します。その流された子をエジプトの王女に拾われ、王族として育てられます。また、その場にいた姉ミリアムの機転によって、モーセの乳母に実母ヨケベデがあてがわれます。モーセはその数年間だけヨケベデに育てられます。その後は、使徒行伝7章のステパノの説教や、ヘブル書11章の信仰者としてのモーセの解説の通り、エジプト人としての教育を受け、30数年間エジプト人として暮らします。しかし、自らは神の民であるという意識を持ち続けました。40歳の時、イスラエルの民を自分の力で救おうとして失敗し、その際、殺人を犯し、ミデアンの地に逃げ込んで隠遁生活を40年間します。その後、神様の召命を受けて再びエジプトの地に戻ってくるのです。なぜでしょうか?

信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んではかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。(ヘブル11:24~26)。

実に紀元前1500年のモーセがその時代から1500年後に生まれるであろうキリストへの信仰を持っていたと聖書は記しているのです。どんなつらい中でも神の民は救い主によって必ず救いだされるという信仰、その救い主の故なら甘んじて苦しみをうけようと考える信仰…その信仰をモーセはヨケベデから教えられたのです。母の日はもともと日曜学校で愚直に子どもたちに聖書の話を語り聞かせたある女性(そうヨケベデのような人)を記念するものとして始まりました。私たちも母の愛に感謝し、また家族というものを作られた神に感謝し、福音をまだ知らぬ、子に親に福音を告げ知らせるものと成りましょう。

ローレンス・アルマ・タデマ作『モーセの発見』

ローレンス・アルマ・タデマ作『モーセの発見』


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