キリスト信者の喜び、ヨハネ3:16
2012年3月18日
受難節第4主日
(新共同約)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
教会の中では特別な言葉と表現があります。しかし、ある言葉はキリスト者にとって、聞くと突然の喜びと賛美が湧いて来ます。例えば、「父と子と聖霊の御名によって」と聞けば、私達の心は礼拝の準備をします。「ハレルヤ」は私達の気分を高くします。「第五の戒め」と聞けば、自分が今日その戒めをもう既に破っているかどうか考えさせます。「詩篇23編」と言う言葉だけを聞けば、神様の愛と守りの確信と平安を与えます。又、「ヨハネ3:16」が車の後ろのバンパー・ステッカーに書かれているのを見る事だけでも、クリスチャンはそれが福音の中心であると分かって、神様の愛と素晴らしい救いを思いだします。それで嬉しくなります。
今日の福音書には、その有名なヨハネ3:16ですので、今日その箇所を見ましょう。
「
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」最初の言葉は「
神」です。私達に分かるように、これは父なる神様です。三位一体の神様の第一位格です。しかし、このヨハネの福音書が最初に書かれた時、異邦人が「神」と聞けば、自分の偶像と偽の神々を考えます。ゼウスやアテナやバアルの神々などです。現代の人々にも言われている神々があります。助けと救いの為にその物に見ます。例えば、日本の神道の神々があり、又、その神々はお金、麻薬、権力、健康、遊びなどです。助けや解放を約束する物です。しかしヨハネ3:16には、これは世を愛する、世の造り主である神様です。「
独り子」はイエス様です。これは肉体を取って、ベツレヘムで生まれたキリストです。ニケア信条はこのように言います。「我は唯一の主イエス・キリストを信ず。主はよろず世の先に父より生まれたる神のひとり子、神よりの神、光よりの光、真の神よりのまことの神、造られずして生まれ」と。ほかの神の子がいません。このひとり子のみに救いがあります。神様はこのひとり子を「お与えになりました。」これは神様の活動です。 救いは私達のする業に基づいていません。神様のなさった業によります。私達が救われたのは、私達が十戒を守るからではありません。私達は良い人であるからではありません。私達の信仰の強さによってではありません。何故ならば、信仰は私達の活動や宗教的な教えの告白によるものではありません。救いは完全に神様の行動です。その行動とは、御自分の子供を与える事によってです。それは、イエス様を犠牲にする為に、イエス様を与える事です。イエス様をユダヤ人の手やローマ人の手に渡す事です。その人々はイエス様を十字架上で殺しました。即ち、神様はイエス様を犠牲の子羊として、愛する世の罪を赦す為にお与えになった事です。
「程。」
どのように愛を測る事が出来るでしょうか。愛によって動かされた行動によって測ります。『その独り子をお与えになったほど』の愛です。父親の愛の測りです。その父親は同時に御自分の子供をも愛し、この世界をも愛する心の苦しみです。一つの尊いものを助ける為に、もう一つの尊いものをささげる測りです。神様の愛を理解する人は誰でしょうか。親でしょうか、恋人でしょうか。「
世」を愛されました。聖書のギリシャの言葉は「コスモス」です。それは宇宙のすべての事を表わす時がありますが、ここではこの地球です。特に、地球の人間です。その世界のすべての人を指します。言い換えますと、神様はこのすべての世界を愛して、地球のすべての人々を愛します。神様はすべての人々を救いたいと思います。それで、御子イエス様の死と復活による救いは、世界の皆さんの為です。ユダヤ人だけではなくて、ほんの少しの特別な人々だけではなくて、すべての人々の為です。その中にはあなたが含まれて、私も含まれて、あなたの隣人も含まれています。世界福音伝道の為の呼び掛けです。この聖句が伝道の為に使われる時、私達が話しかける人が神様によって愛されていると意味します。神様はその人を愛して、その人がイエス・キリストについて福音を信じる事が神様の意志である事です。「
愛」です。この個所の聖書のギリシャ語の愛の言葉は「アガペ」です。ただの友情や性的な関係より深いものです。ただの気持ちやものが大好きという状態より深いです。アガペの愛は信頼することの出来る関係、約束です。この愛は、愛する人の為の幸せを探します。その人の幸せの為に働きます。それは神様の愛がする事です。即ちこの世に幸せを与えます。「信じる者」が救われています。信じる事は宗教の知識のテストではありません。どのキリスト教団に属しているか、どの人種であるかは、関係ありません。信じる人、誰でも救われています。子供はイエス様を信じます。私もあなたも信じます。「
一人も滅びないで」神様はすべての人を救いたいと思います。「
滅び」の反対は「永遠の命」です。神様は十字架上でキリストが死ぬ為に与えられたのは、神様のプラン、その約束、その目的とは、「一人も滅びない」事です。どれで、信じる人は永遠に滅びないで、永遠に生きるのです。「永遠の命を得るためである」のです。最後に、「永遠の命」とは何でしょうか。いつから始まるでしょうか。永遠の命とは、信者達にイエス様が与える命です。その命は、人がイエス様を自分の救い主として信じる時に始まります。私達はもう既にその命によって生きています。信仰によって生きる事です。神様の光の中で生きる事です。私達の体が死ぬ時期がありますが、復活とは、もう既にイエス様によって得られた命の続きです。その永遠の命を得たのは、神様は御自分のひとり子を、私達の罪を赦す犠牲の為に与えたからです。ヨハネ3:16.
ですからキリスト信者達は、そのヨハネ3:16の聖句の何章何節の言葉だけを聞けば、嬉しくなります。私達はその箇所の意味が分かるからです。車の後ろのバンパー・スティッカーでしても、私達の心が嬉しくなります。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会
「
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(KJV) For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.
(NKJV) For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
(RSV) For God so loved the world that he gave his only Son, that whoever believes in him should not perish but have eternal life.
(TEV) For God loved the world so much that he gave his only Son, so that everyone who believes in him may not die but have eternal life.
(NIV) For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
(Greek) Οὕτως γὰρ ἠγάπησεν ὁ θεὸς τὸν κόσμον, ὥστε τὸν υἱὸν τὸν μονογενῆ ἔδωκεν, ἵνα πᾶς ὁ πιστεύων εἰς αὐτὸν μὴ ἀπόλ ηται ἀλλ' ἔχῃ ζωὴν αἰώνιον.
(新共同約)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(口 語 約)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。