2018年6月3日
申命記5:12–15
マルコ2:23–28 (3:1–6)
福音書の日課で、ファリサイ派の人々はイエス様が安息日に対する第三の戒めを破ったと言います。彼らの安息日の理解とイエス様の理解がぜんぜん違います。申命記5章のモーセの言葉を読みますと、安息日は神様からイスラエル人に与えられたギフトです。彼らは長い年月,エジプトで奴隷でした。奴隷には休みの日がありませんが、主なる神様は彼らをその奴隷の状態から救い出して自由を与えました。申命記5章15節:「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」思い起こす事とは、その事をお祝いする事です。神様に感謝する事です。安息日の休みはイスラエル人に与えたどんなに素晴らしい贈り物であるかと言いますと、その同じ休みを、自分の為に働く僕や奴隷のような人にも与える事です。
しかし、ファリサイ派の人々はこの自由のお祝いを規定に対する新しい奴隷にしてしまいました。では、ある規定は良いでしょう、何故ならばあるボスは欲張りで、力強くて、雇い人を働かせすぎるからです。しかし、ファリサイ派の人々は多くの細かい規定を作って、多くの小さい事を「仕事《と定義しました。それで、お腹が空いた弟子達がいくつかの麦の穂を摘み始めた時、ファリサイ派の人々がそれを見て、それが空腹した人へのギフトよりも、収穫作業として解釈しました。イエス様が安息日に人の手を癒した時、ファリサイ派の人々は、それが医者の仕事と見て、奴隷のようにハンディキャップに束縛された人への自由の贈り物として認めませんでした。ファリサイ派の人々の熱心で、福音を述べ伝える福音を実行するイエス様の自由を制限したいと思いました。
今日の説教の題吊は、「第三の戒め、第三の自由《です。若い時、私は多くの詩篇を理解する事が出来ませんでした。例えば、詩篇119編の中の言葉です。例えば:
詩篇119:47 “私はあなたの戒めを愛し、それを楽しみとします。”
詩篇119:48 “私はあなたの戒めを愛し、それに向かって手を高く上げます。私はあなたの掟を歌います。”
ルーテル教会の者として、即ち、律法がいつも罪を宣告すると分かる者として、私はその言葉の意味を完全に理解する事が出来ませんでした。律法が私を罪に宣告する悪い物だと思いました。しかし、最近、私は新しい方法で十戒を見ています。説明しましょう。
例えば、第一のいましめ:「私は主、あなたの神である。あなたは、私のほかになにものをも神としてはならない。《
神様はイスラエル人を選びました。又、私達を選びました。御自分を私達の神になさいました。私達には他の言われている「神々《が要りません。イエス様が私達の必要とするすべてです。
第二のいましめ:「あなたは、あなたの神、主の吊をみだりに唱えてはならない。《正しく、祈りと賛美を持って主の吊前を唱えます。神様は、御自分に祈る許可を私達に与えまして、私達の祈りを聞く事を約束しました。それで、イエス様は主の祈りを教えました。
第三のいましめ:「あなたは、安息日を覚えて、これを聖とせよ。《
どの曜日でしても、一番聖なる事が出来る事は何でしょうか。それは、神様の御言葉を聞く事です、特に、読まれて説教されている時です。そして、それで私達が聖なる人になります。私達の国には宗教の自由があるので神様に感謝します。そして、キリスト教は、律法の重荷ではなくて、自由と愛と喜びへの力であると分かります。
第四のいましめ:「あなたは、あなたの父と母を敬え。《
神様は私達に素晴らしい贈り物を下さいました。尊敬出来る親と指導者です。
第五のいましめ:「あなたは、殺してはならない。《
勿論、これは私が守るべき戒めですが、他の人もこれを守るべきものです。このようにして、神様は他の人が、私に痛みと苦しみを与えないように命令します。危険の恐れがない人生を送るギフトです。
第六の戒め:「あなたは、姦淫してはならない。《
結婚と愛の贈り物です。安心に生きるギフトです。ロマンスの喜びです。幸せの時にも上幸の時にも、忠実と絆がある確信です。それで聖書には、教会は花嫁で、キリストが花息子です。彼が永遠に私達に対して忠実です。
第七の戒め:「あなたは、盗んではならない。《
生きる為に、神様は私達に必要な物を下さいます。勿論、これは私が守るべき戒めですが、他の人もこれを守るべきものです。このようにして、神様は他の人が私の物を大事にして守るように命令します。こうして、私は神様のギフトをエンジョイする事が出来ます。
第八の戒め:「あなたは、隣人に対して、偽証してはならない。《
偽りやいじめや噂話からの自由です。良い評判です。真実を守る事です。そして、勿論、聖霊は私達に福音の倫理を啓示します。
第九の戒め:「あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。《
自分の家に住んで、自分の商売を持って、誰かがそれを奪わないように、自由と安心を持つ事です。神様は私の生活を守ります。
第十の戒め:「あなたは、隣人の妻、しもべ、はしため、家畜、また隣人のすべてのものをむさぼってはならない。《
むさぼらなくても良い理由とは、万足だからです。必要な物が神様から与えられているからです。 命も救いも下さいました。心配や欲張りや上安からの自由です。
この十戒が十の自由になる事が出来るのは、イエス様が私達の弱さを知り、私達がその戒めを破ると知るからです。それで、御自分の上に私達の罪を取って十字架上で死んで下さいました。三日目に甦りました。大きいな石、封印、傷、死も、彼をおさえる事出来ませんでした。イエス様は自由でした。そして、私達にその同じ自由を下さいます。罪と死と悪魔からの自由です。喜びと愛と今の命と永遠の命の為の自由です。キリスト信者の為に、安息日には新しい意味があります。エジプトでの奴隷からの自由よりも、地獄の奴隷からの自由です。ですから、イエス様が復活した曜日、日曜日でその自由をお祝いします。
食べ物を収穫して、病気な人を癒して、主を褒め称えましょう。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会