2019年12月1日,待降節第一主日
キリスト教会の大切な教えの一つは、使徒信条にあります。
「われはの主イエス・キリストを信ず。天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりたまいて、生ける人と死にたる人を、裁きたまわん。《
又「からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。アーメン。《
キリストが戻って来られると私達は信じますが、いつそれがなるか、聖書は教えません。イエス様ご自身は、ご自分も知らないと言われました。しかし、戻ると約束しました。私達はそれがいつなるか分からないので、イエス様は言われました、「 42だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。《「44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。《 今日来られるかも知れません、又、来週や私達の生きている間や後千年かも知れません。私達がイエス様と出会うのは、世の終わりの復活の日かも知れません。
誰かが何かの為に待つ時、行列に並んで待つ時、眠くなったり、別の事を考えたりするのは自然です。退屈でしたら、いたずらしたり、あきらめたりします。又、来る人やその事を恐れる事もあります:自分の車に歩いて来るお巡りさん、大きいテストも持って来る先生、お尻をたたきに来るお母さん、健康診断の発表を持って来るお医者さん。キリスト信者達は、イエス様の再臨を恐れる時もあります。それは、自分の罪と価値がない事を考える時です。信じにくいのは、イエス様の十字架上の死と復活が私達の罪を赦して、私達に永遠の命を与える事です。信じにくいですが、その信仰は大きいな安心、慰めと希望を与えます。イエス様を待つ時、彼の再臨の約束を忘れてはいけません。強い信仰に立って、上信仰や罪に迷ってはいけません。
イエス様は言われました、「44だから、あなたがたも用意していなさい。《どのように準備するでしょうか。それは、イエス様を自分自身の救い主であると信じる事によってです。信仰を告白し、洗礼を受けて、罪をざんげして、イエス様の愛の内に生活を送る事によってです。
待ちながら何をするべきでしょうか。聖パウロは、今日の使徒書で、キリスト者の生き方を教えました。ローマ 13:11~14「11更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。 12夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。 13日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、 14主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。《
待ちながら何をするべきでしょうか。主なる神様から与えられた仕事をする事です。今日の福音書でイエス様は言われました、「40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。《2人は畑に秋の収穫の為に種をまいたでしょうか。2人は家族のパンを作る為に小麦粉を引いたでしょうか。その人達は、普通の毎日の、神から与えられた神に喜ばせる生活を送りました。イエス様の再臨を心配しませんでした、何故ならば、キリストが最初に来られた時になさった事を信じたからです。ですから、大工さんは家を作り、先生はよく教え、園丁は木を椊えます。キリスト信者達は日曜日ごとに教会に集まります。アドベントとクリスマスをお祝いします。人生は、祈りと讃美と感謝に満たされています。聖霊が私達に来られて私達に信仰を与えたので、喜びます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会