怒り

2011年2月13日

福音書 マタイによる福音書5章21節~37節 (新 p.7)

5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、
5:24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。
5:26 はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
5:31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
5:32 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
5:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」


すべての社会には法律があります。根本的な法律が二つあると思います。殺人に対するものと盗みに対するものです。第5の戒めと第7の戒めです。「あなたは、殺してはならない」と「あなたは、盗んではならない」です。姦淫に対する第6の戒めは、他の人の連れ合いを盗む事です。偽証に対する第8の戒めは、他の人の名誉を汚したりそれを盗んだりする事によって、その人の経済や体に対して害を与える事です。そして、第9の戒めの「隣人の家をむさぼってはならない」事とは、法的のように見える方法で、隣人の物を盗む事に対する法律です。

十戒の広い意味を理解しましたら、十戒を守る事が出来ます。人を殺さないで、物を盗まないで、人をだまさないで、姦淫しないで、うそを言わないで生きる事が出来ます。しかしイエス様は神の国の中での人生は、それより深いと言われます。外側から見える行動だけではありません。神様は人の心を見るからです。神様は人の思いが分かるからです。すべての思いと言葉と行いが神様に取って大切です。マタイ22:37でイエス様はこのように言われました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」口先だけの、意味のない儀式はいりません。神様は心からの礼拝と愛から来る人生が欲しいと思います。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」と尋ねられた時、イエス様はこのように言われた。マタイ22:37「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』22:38 これが最も重要な第一の掟である。22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」愛は、心の中のものですが、同時に私達の毎日の生涯の中で見えるものです。私達の人生の中で、神様が欲しいと思うものです。

山上の説教で、イエス様はそれを意味して言われました、5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。 5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」どうして怒りと憎しみがそんなに悪いでしょうか。それは、怒りと憎しみは人を殺したいと思うからです。心の中で、その人に死んでもらいたいと思い、自分の人生から消えるように願います。憎しみは他の人との縁を切ります。私達の関係を殺します。他の人を侮辱しますと、その人に痛みをあたえます。その人の骨を折りませんが、その人の心や精神に傷をつけます。そして、そのような痛みは体の傷よりひどい時もあります。人に「馬鹿」、「愚かな者」、又ほかのひどい言葉を言うと、その人が価値のない人間であり、イエス・キリストに救われる価値がない者と言います。イエス様が言われるのは、もし私達が他の人を火の地獄に投げ込まれるように呪いを言って裁きましたら、私達も同じ裁きを受ける可能性があります。

又イエス様は言われました。

「5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に  投げ込まれない方がましである。 5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」 5:31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。 5:32 しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」」

ここにも、外から見える行動だけではなくて、心の状態(じょうたい)も批難(ひなん)されています。イエス様は結婚を尊びます。すべての人の価値、そんげん と名誉を守りたいと思いました。その尊厳(そんげん)と名誉は愛から来ます。ですから、私達の心の思いが愛によって清められています。私達が何を見るか、私達がどのように他の人を見るかが大切です。イエス様は人間の心を知ります。人間にとっては、ものを見ると何を感じるか、どう反応するか、それをコントロールすることは難しいです。心の感情を支配するよりも、  自分の目をえぐり出して、自分の右の手を切り取って捨てる方がしやすいかも知れません。しかし、全身が地獄に投げ込まれる事より良いです。

ルターの小教理問答書は第5の戒めと第6の戒めを説明します。

第五のいましめ あなたは、殺してはならない

問 これは、どんな意味ですか?

答 わたしたちは、神を畏れ、愛さなければなりません。それで、わたしたちは、 隣人のからだを傷つけたり、苦しめたりしないで、むしろあらゆる困難(こんなん)の場合(ばあい)に隣人を助け、励(はげ)ますのです。

第六の戒め あなたは、姦淫してはならない

問 これは、どんな意味ですか?

答 わたしたちは、神を畏れ、愛さなければなりません。それで、わたしたちは、 言葉においても、行いにおいてもきよく正しく生き、また夫婦(ふうふ)は、互いに愛し、 敬(うやま)い合うのです。

すべての戒めの説明がこの言葉で始めます「私達は、神を恐れ、愛さなければなりません。」これはイエス様の言葉を理解する為のカギです。神様を恐れる事とは、地獄の火を恐れる事です。その恐れの為だけで、私達は人を殺さないで、人に「馬鹿」と言わないでしょう。姦淫しないように、私達の性欲を支配するかも知りません。しかし神の愛はイエス様が思うように、十戒を守る事に力を与えます。

神の愛です。神様は私達を愛する事も、私達も神様を愛する事です。

神様は世を愛します。この世に関心を持っています。人が殺されていないように、キズつけられないように希望しています。神様はすべての人の尊さがほかの人に守られているように希望しています。この愛が表わされているのは、神様が御自分の御子をこの世にお使われた程、愛します。御自分の上に私達の死を取りました。私達に命と永遠の命の約束を与えました。イエス様は私達を侮辱しないで、洗礼によって、私達に素晴らしい名前を下さいました。聖なる三位一体の御名です。父と子と聖霊の御名です。私達は神様の家族のメンバーになります。イエス様は人間の家族をも守ります。連れ合い同士が忠実でいるように勧(すす)めます。離婚を勧めません。姦淫と汚(きたな)い思いと汚い行動を禁じます。人間の一番親しい関係の愛を勧めます。

私達が、私達のクリスチャンの生活の中で、恐れにも愛にも導かれています。何故ならば、私達は同時に罪人であり聖人であるのです。私達が地獄の火から救われている理由とは、自分のわざの為にではなくて、イエス様の業によってです。イエス様は私達の為に地獄の火を通りました。十字架上で死にました。そして、勝利を持って地獄に下りました。勝利を持って3日目に甦りました。この信仰が私達を救います。私達はこの信仰によって生きるのです。この信仰は憎しみを愛にする事が出来ます。この愛があるので、私達は自分の愛する人に忠実でいます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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