2024年4月7日
復活節第2主日B
今日、日本語の礼拝は、教会の紊骨堂で行います。(雨が降らなければ…)(残忍が雨が降ったので、教会の礼拝堂で礼拝しました。)
今日は、お葬式でもないし、記念会でもありません。私達の主イエス・キリストの復活を覚える礼拝です。私達の罪を赦す為に死んだ事を覚えます。私達に救いと永遠の命を与える為に3日目に復活しました。復活した日の夕方、弟子達に平和の祝福を与えました、シャローム。又、ご自分の働きを続ける為に、弟子達を遣わしました。そして、次に、
22 彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。《
即ち、弟子達の働きとは、罪を赦す事です。
そして、1週間後、トマスは、その素晴らしい信仰告白をしました。
28 「わたしの主、わたしの神よ《
それが私達の信仰告白になります。イエス様は私達の信仰を祝福します。
29 「見ないのに信じる人は、幸いである。《
今日、イエス・キリストがお墓から甦った事を記念します。イエス様の約束とは、彼を信じるすべての人々が,永遠に滅びないで、永遠に生きる事です。それで、クリスト信者として紊骨堂に参りする時、私達の愛する人と天国で共にいる事を知ります。ですから、クリスト信者として紊骨堂に参りする時、心が悲しみと寂しさでいっぱいでしても、同時に、愛する人と再び会う時を待ち望みます。期待します。それで、寂しさも、希望と慰めもあります。それで、特別の喜びを持って祈ったり歌ったりします。今日、どの聖書の箇所や歌があなたに慰めを与えるでしょうか。
先週、Lutheran Forum の雑誌の記事を読みました。多くの賛美歌を書いたドイツ人の女の人Amilie Juliane(1637-1706)についての記事でした。一古い英語の賛美歌に信仰の賛美歌があります。彼女の多くの賛美歌は、命と死、福音の慰めと希望を歌います。雑誌の記者は、私達が自分の葬式をプランニングについて書きました。自分の葬式で歌ったり詠んだりしてもらいたいと思う、好きな賛美歌と聖書箇所を書き置きます。そのリストを誰かにあげて、又、教会の事務所のファイルにしておきます。それから、記者は読者に聞きました。自分が死にかけている時、どの聖書の箇所を詠んで聞きたいと思いますか。家か病室かホスピスで、どの歌や賛美歌を、だれかが歌うかハミングするか、聞きたいと思うでしょうか。私は考えさせられました。聞かせて、私に慰めを与えるのは、詩編23篇、クリスマスのストーリ、又、獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル。誰かが賛美歌を開いて、イースターの賛美歌や「450番の力なる神は《や私が好きな「322番主なるイエスは、我が喜び、我がたから《。私に元気を与えるほかのプレイスソングや普通の歌もあります。
弟子達が甦られた主イエス・キリストを見た時、喜びました。今日その話を聞くと、私達もお祝いします。教会の中にいる時だけではなくて、毎日の生活の中でもそうです。私達の罪が赦されていますので、自由になります:将来の事も現在にある問題に対する恐れからも自由になりました。何故ならば、イエス様が甦ったからです。それは、我がキリスト信者の信仰です。そのように毎日過ごします。復活した主はいつも私達と共にいます。そして、いつも私達に言われます:「あなたに平和があるように。シャローム。《
アーメン。
Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church