2016年5月8日
昇天主日
イエス様はどこですか?イエス様を探し出すのが難しい時があります。例えば、イエス様が生まれた時、博士達はイエス様がヘレデ王の王子だろうと思って、ベツレヘムの馬小屋に行く前に、エルサレムの宮殿に行きました。12歳になった時、エルサレムに登った時、両親と共に帰りませんでした。マリアとヨセフはエルサレムに戻って、イエス様を探して、三日目に神殿の中で、聖書学者達と話すイエス様を見つけました。ゲッセメネの園の中のイエス様を見つける為に、兵士達には、ユダの案内が必要でした。三日目に、マリアはお墓の中で、復活したイエス様を見つけられませんでしたので、園丁に「イエス様はどこですか?」と聞きました。
今日、私達はイエス様の昇天を覚えます。今は、私達はイエス様のいる所を知ります。イエス様はいつも天国で、父なる神様の右にいます。それで、私達はいつもイエス様を見つけられます。しかし、イエス様は、宇宙の遠い所にいないで、私達と共にいます、私達の心と私達の人生の中にいます。このイエス様の二つの綺麗な約束の言葉を聞いて下さい。
★ マタイ28:20。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
★ マタイ18:20。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
★ 又、マタイ1:23。天使がヨセフに話しました。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
しかし、私達は目で見えないで、手で触る事も出来ません。そう出来れば、嬉しい時があるでしょう。時々、誰かに抱いてもらいたい、誰かの手を取りたいと思うからです。今日は母の日です。イエス様が私達の母のようでしたら、良いでしょう。母が私達を叱る時やお尻をたたく時以外ですが、叱る事の後に、母の真の愛と関心が見えるでしょう。もし私達は母の誠の愛が分かれば、その時、神様の愛が分かって来るでしょう。それで、神様の犠牲と忍耐と憐れみと恵みを理解する事が出来るでしょう。又、母がそのような神様の愛を知る時こそ、なお更良い母になる、なお更よく子供を愛する事が出来るでしょう。その時、その母の子供達が簡単に第4の戒めを守ることが出来るでしょう。「あなたは、あなたの父と母を敬え。」です。
しかし私達は、よく反抗的な子供のようです。神様にはそれが分かります。旧約聖書全体は、神様が御自分の反抗的な子供達である、イスラエルの民との戦いです。旧約聖書の中で、神様の怒りをよく見ますが、怒りよりも、神様の忍耐と憐れみと恵みが、なお更よく見えます。そして、新約聖書の中に、イエス・キリストの中に、神様の働きを見ます。御自分の「子供」と呼ばれている私達を救う為に、イエス様の大変な働きを見ます。私達はいつもイエス様の絶えまない助けと、愛が必要であるとイエス様に分かります。それで、聖霊を送るように約束しました。
私達が小さい子供のように、聖霊は私達の手をにぎりません。聖霊は力を与えます。イエス様は言われました、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」この力があるので、私達は世の人々に、イエス様がどこにいるか教える事が出来ます。教える事が必要なのは、イエス様が2000年前の昔の中東に住む人だけではない事です。又、イエス様が遠くの天国だけにいない事です。イエス様は今私達と共にいます。私達の働きとは、それを述べ伝える事です。聖霊の働きとは、人々にイエス様がどこにいるかと、分かる信仰を造る事です。
イエス様の昇天の時、弟子達はそのまま立て、天を見つめて、イエス様がどこに行くだろうか、いつ戻るかと考えたでしょう。その時、天使が教えました、ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」キリスト教会の最も大切な教えの一つは、イエス様が戻って来る事です。ニケヤ信条はこのように言います、
「また生ける人と死にたる人とをさばくために、栄光をもって再び来たりたまわん。そのみ国は終わることなし。」それで、クリスチャンになる事には価値があります。人生に意味を与えます、何故ならば、希望があるからです。希望があるのは、この世の罪と悪には終わりがあるからです。さばく為に戻る時、この罪深い世に正義と平和を与えます。それで、今もう既に希望と平和があるのは、自分の救い主としてイエス・キリストを信じる時、私達の罪が赦されて、私達には永遠の救いと命があるからです。それで、ニケア信条が言います。「死者のよみがえりと来世のいのちを待ち望む。」
それで私達にとって、イエス様の昇天が意味深いです。
それで、私達は弟子達と地上の全ての教会の信者達と共に喜びます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会