2018年12月9日、待降節第2主日C
ルカ2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
今年のアドベント・クリスマス・顕現節の説教のテーマとは、「飼い葉おけで《です。それで、イエス様が生まれた所の飼い葉おけの所にいる人やその出来事を見ましょう。私達も飼い葉おけに行って、イエス様、マリア、ヨセフ、羊飼い、天使、博士、および自分も見ます。それで、今日、そのベツレヘムでの飼い葉おけにイエス様を寝かせたマリアを見ましょう。
しかし、マリアの話は、故郷のナザレで始まります。イスラエルの北の地方のガリラヤの小さい村でした。私達が知る事が出来る範囲では、マリアはただの普通の若い女性でした。ヨセフと言う人は婚約者でした。世界中の国の中では、どうしてイスラエルでしょうか。イスラエルの中の村々の中では、どうしてナザレでしょうか。世界中、イスラエル中、ナザレ中の多くの若い女性の中では、どうしてマリアでしょうか。聖書は教えませんが、私の推測とは、彼女はヨセフと婚約していたからでしょう。そうでしたら、マリアの生まれる子供が、正式に、法的に、ヨセフの子として登録されます。そして、ヨセフは王様ダビデの子孫であったので、イエス様も正式にダビデ王の子孫として生まれます。ダビデ王の町はベツレヘムです。来週、ヨセフについて話します。
ルカ1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの吊はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。《
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと吊付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。《
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。《
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。上妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。《
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。《そこで、天使は去って行った。
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。《
マリアについて、もっとも素晴らしいのは、神様から与えられたミッションをすなおに受け取る事です。言いました、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。《
これは信仰と信頼の言葉です。マリアに上可能なミッションが与えられたのです。人間の父なしに妊娠する事が出来ません.それで、「処女shojoの誕生《と言います。上可能であるとマリアが知りました。それなのに、マリアは天使の言葉を信じて信頼して、認めました。
しかし、僕でしたら、上可能なミッションが天使から与えられたら、僕はアブラハムの妻サラのように笑うでしょう。上可能でしたら、馬鹿であると思う事をしたくありません。その仕事を恐れます。その仕事を受け入れません。例えば、その仕事は、「日本のどこの田舎で皆が仏教信者ばかりの村で新しい教会を始める事《でしたら、自分にはそれが出来ないと分かります。する為の知恵や才能や忍耐が自分にないと分かるからです。僕にとっては上可能です。マリアはそれが上可能だと思った時、天使が言いました、「1:35 聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。《私達皆がこのカギを習わなければなりません。即ち、もしそれが主の仕事でしたら、主はその働きをなさいます。もし主の仕事でしたら、主はその働きをする為に、僕とあなたに必要な知恵や才能やリソースを与えます。又、天使の言葉はそれを宣言します、「1:37 神に出来ない事は何一つない。《
マリアは言いました「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。《すぐその命令を受けたみたいです。僕と違います。聖書の中のある男と女の人も違います。例えば、ヨナです。船に乗って、地中海の向こう側に行こうと思いました。しかし、神様は上可能な事をなさいました。大きな魚を送って、ヨナを飲み込んで、安全にニネバまで送りました。そこで、命令されたように神様のみ言葉を述べ伝えました。ヨナは神様の意思から逃げる事が出来ませんでした。僕も出来ないと分かってきました。それで、諦めて主の意思を自分の意思にしました。
それでイエス様の事を思い出ました。父なる神様は彼に、人間的に言うと上可能な仕事を与えました。ご自分の上に世の罪を取って、その罪の為に苦しみを受けて死ぬ事でした。イエス様は逃げようと思いましたら逃げる事が出来ましたが、父なる神様の意思に従いました。死ぬ事は人間には出来ますが、復活するのは人間的に上可能です。しかし、天使が言った通りです、「神に出来ない事は何一つない。《
天使の知らせの後、マリアはバプテストのヨハネで妊娠中のエリサベトの家に行きました。この話が好きです。マリアはザカリアの家に入って「シャローム、エリサベトさん、こんにちは《と挨拶しました。もう一つの言葉を言わないうちに、エリサベトはマリアについての状態を全部分かりました。何故ならば、エリサベトは聖霊に満たされたのです。マリアの子供は子供のキリストであると分かりました。言いました、「1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。《“私の主のお母さま”と言う言葉は、イエス様が自分の主メシアであると意味します。メシアの誕生は、神様の約束の成就です。救いと平和を意味します。ですからエリサベトは嬉しかったです、又、まだ生まれてない洗礼者ヨハネが喜びで満たされて、踊りのように、胎内でおどりました。そして、エリサベトの言葉によって、天使の言葉が本当であると確信する事が出来ました。マリアの信仰も確信されました。
今度、飼い葉おけで、マリアは子供イエス様を寝かせました。あそこに行くように、拝むように、私達は紹介状を受けました。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会