2019年8月11日
福音書の朗読 ルカ12:22~34
12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣朊よりも大切だ。 12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、紊屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。 12:25 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。 12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。 12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。 12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。 12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。《
イエス様は言われました、「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣朊よりも大切だ。《
この言葉を言われたのは、私達がいつも、本当に人生に思い悩むからです。私達は心配します。恐れを初め、疑い、困難、上安、悲観主義、弱さ、悩み、罪、罪悪感などです。私自身は心配したくないのですが、関心を持って未来の為に計画を建てます。偽善者にならないように告白します。先週牧師として私の一番大きな心配とは、心配しないようにと語る説教をどのように書くか、と言うことでした。
聖書の中では、主なる神様を信頼して心配しなくてもいいと言う人は、イエス様が最初の人ではありませんでした。先ず、ダビデは詩篇23篇を書きました。「主は私の羊飼い、私には何も欠けることがない。 死の陰の谷を行くときも/私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる。《ダビデ王には多くの問題と戦いがありましたが、その中にも、主を信頼して、思い悩まなくても良いでした。伝道の書のコへレトは、要約、「食べたり飲んだりして、神様があなたに下さった人生を楽しみなさい《と。ダニエル書には、どのように人が主を信頼したか話しました。燃える火の中にも、ライオンの穴の中にも、神様を信頼しました。
私個人が心配する時、助けるものがあります。先ずイエス様の言葉です。「12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、紊屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。《
又、主の祈りでイエス様が教えた言葉もあります。「われらの日ごとのかてを、きょうも与えたまえ….われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ。《毎日、その日の必要な物を私達に下さる神様を信じて信頼する事です。体をも魂をも悪より守って下さる神様を信じて信頼する事です。
又、聖パウロの言葉もあります。私が小さいごろから、私の好きな聖句とは、ローマ8:28です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《
万事が私の益の為に神様が働いて下さいます。良い事はもちろん、悪い事の場合にも、神様は私の為に良い方法にして下さいます。 自分が間違えをしても、正しくない方に決めても、神様はそのようなものを良くする事が出来ます。自分に怪我や病気があっても、神様はそれを私の益にする事が出来ます。どのようにその怪我や病気が自分の為に良いものであるか、自分に分からなくても、私は神様を信頼します。自分の罪でさえも、良い方法にする事が出来ます、即ち、罪の赦しによって、私の罪をご自分の上に取る事です。 その時、聖霊は私の信仰と信頼を強くします。
悪い状態を良い状態にすると話しますと、十字架上のイエス様を覚えましょう。十字架から空っぽのお墓に。死から復活に。苦しみから愛と癒しに。世の罪からヨハネ3:16に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。《ですから、私達には十字架のような悲しみと苦しみがある時、私達はイエス様の十字架と彼の苦しみを見て、更に、彼の復活と勝利を見ます。これこそは、私達の希望とイエス・キリストを信頼する源です。これこそが、私達の心配を取り除きます。
最後に、このローマ8:28の聖句が私に平和と好奇心(こうきしん)を与えます。例えば、自分がこれから何をすれば良いか全然分からない時、考え始めます、「O.K., 神様、どのように私を今の困った状態から助け出すでしょうか。どのように良いものにするでしょうか。どの奇跡をなさるでしょうか《と。このような好奇心があれば、恐ろしい経験の中にも ちょっとしたリラックスすることができます。
そして、最高の益になる時がいつか来ます。この罪と悪と問題ばかりの世からの開放です。すべての涙、すべての痛み、すべての悲しみ、すべての心配が取り除かれます。イエス様は言われました、
「12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。《
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会