イエス様の弟子達は旅行者のようでした。田舎のガラリャから過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに来ました。エルサレムは大きくて、奇麗で、その時代に於いて近代的な都市でした。多くの屋敷や公の建物も、神殿もありました。多くの建物の建設に大理石を使いました。神殿も真っ白の大理石で、金や奇麗な彫刻で飾りました。弟子達が神殿の所から出る時に言いました、「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。《(マルコ13:1)。イエス様はこのように答えました、「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。《(ルカ21:5)。そしてその通りになりました。西暦70年にローマの軍隊はエルサレムの町と神殿を完全に破壊しました。残ったのは、言われている「泣げきの壁《しかありませんでした。弟子達が奇麗と思ったすべての石は、他の所で建設する為にエルサレムからはこばれてしまいました。
イエス様はエルサレムとその神殿の破壊について話しましたが、その話はユダヤ人達にとっては、神様を冒涜する言葉のように聞こえました。何故ならば、神殿は地上での神様の住まいだからです。神様はユダヤ人を祝福するしるしでした。神殿が破壊されると言いますと、それは、神様が愛する民であるユダヤ人を見捨てると言う事のようです。旧約聖書の時代の預言者達がバビロニヤによるエルサレムの破壊を予言した時、彼らが迫害され牢に入れられました。ユダヤ人にとって、神殿の破壊は世の終わりのようです。ユダヤ人達が望んだのは、救い主のメシアが来る時、イスラエルの平和と豊かな黄金の時代が始まる事です。
それで、イエス様はエルサレムの破壊について話すと、弟子達に分かってきたのは、イエス様のメシアの働きについての考えが違う事です。ユダヤ人の夢の世界の終わりです。完全な改新、改革です。イエス様はその警告を言われました。イエス様の警告を信じる多く人は、戦争と争いの噂を聞いた時、イエス様を信頼してローマの軍隊の侵入する前に、エルサレムから他の国に逃げました。
イエス様はメシアの本当の再び来られる事について話しました。宇宙の中のしるしも、地上の自然の中の徴も来ます。例えば、旧約聖書の空の中の虹です:大きいな洪水によって、神様が再びこの世を破壊しないと言う神様の恵みと約束の徴です。こんど同じように、イエス様の再臨の約束の徴もあります。イエス様はその徴を教えました。戦争、又は台風、津波、地震のような自然なものや、迫害と殉教もそうです。キリスト信者達は、それらはメシアが再び来るという徴として見ます。このようなもの為に、私達と全ての人々が恐れます。その時、私達は神様の御前でけんそんをもって、私達のキリストとの関係を考え、罪を悔い改めます。もし私達がその天災などで殺されなければ、私達に悔い改める為のもう一つのチャンスを、神様が与えて下さったので感謝します。それで、この恐ろしい徴は同時に希望と約束の徴です。神様の赦しと恵みと平安の約束です。イエス様は言われました、「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。《「解放《とは「救い《です。この徴はこの世の時期の終わりと永遠の命の始まりを指します。
世の終わりを歓迎しない人がいます。キリストの再臨の準備が出来ていない人がいます。キリストの再臨を恐れるキリスト信者でもいます。特に、自分の罪を覚えて、救われる価値がないと分かる時です。それで、もしかしたら、神様は時々地震や台風や個人的な問題を送るでしょう:即ち、世の終わりと裁きの日が来ると思い起こさせる為でしょう。罪深い生活を過ごさないようにと思い起させるでしょう、又、天災と問題の中にも、神様が私達を愛して私達と共にいる事を思い起こさせるでしょう。
どうやってキリストの再臨を準備しましょうか。それは、まず、彼の最初の来られる時の準備する事によってです。即ち、クリスマスの準備です。キリストはこの世界の中に生まれた事をお祝いします。公の宣教の時、イエス様は救いの良い知らせを述べ伝えました。私達の罪を赦す為に十字架上で死んで、神様と和解する為に3日目に復活しました。そして、天に昇りましたが、天から戻って、死んだ人と生きている人を裁きます。この事を信じましたら、私達はイエス様の再臨の為に準備が出来ました。
どうやってキリストの再臨を準備しましょうか。それは、次に、今日、自分の心の中にも自分の毎日の生活の中にも、イエス様を迎え入れる事によってです。イエス様は赦しと恵みの言葉をもって来られます。洗礼に於いても、聖餐式に於いても来られます。私達の心と人生の中に入って、その中に住まれます。この事を信じましたら、私達はイエス様の再臨の為に準備が出来ました。
弟子達は「しるしを下さい《と頼みました。虹や天災や戦争や憎しみ(にく)と迫害と人生の問題よりも優れている徴があります。即ち、十字架の徴があります。死が最後のものではないと見せます。罪と悪魔が神様の約束を破壊する事が出来ないと見せます。何故ならば、私達クリスチャンが空っぽの十字架を見る時、同時に空っぽのお墓をも見るからです。イエス様は、御自分が死んで3日目に甦ると約束しました。そしてその通りになりました。イエス様は、天に昇って、世の最後の日に戻ると約束しました。その通りになります。キリストは死にました。キリストは復活しました。キリストは再び来られます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会