復活祭、2022年4月17日
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。《そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。ルカ24:5-8
手紙を送って、しかし数日後、「住所上明《と書かれて、戻って来た事があります。時々、eメイルも同じように戻ります。2か3度ぐらい病院に行って、入院した人を訪ねようと思いました。しかし、看護婦はその人がもう既に退院した、家に帰りました、と教えられた事があります。イースターの天使の言葉を借りて、「なぜ、元気な人を病者の中に捜すのか。あの人は、ここにはおられない。回復したのだ。《
最初のイースターの朝、婦人達は、イエス様の住所を間違えまいた。イエス様がまだ墓地のお墓にいると思いました。しかし、お墓が空っぽだとすぐ見ました。その時、天使が教えました、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。《そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出したのです。以前に、イエス様の住所か変更になると教えた事を思い出しました。ご自分がお墓に長くいないと教えたからです。
今日のイースターの朝、私達はイエス様を探しに教会に来ました。しかし、ここはイエス様の新しい住所でしょうか。甦られたイエス様を探す為に、教会に来るのは正解です。ここにいるからです。神様の御言葉の中にも、洗礼と聖餐式の礼典の中にもいます。私達の祈りと私達の賛美を聞く為にイエス様はここにいます。それで、私達はイエス様をここに見つけます。
そして、私達がイエス様を見つけるので、よかったです。何故ならば、この世界にはイエス様が必要だからです。ある時、この世界の状態がまだまだ聖金曜日のようです。この世界は、死と暗闇と失望でいっぱいです。人々には救いが必要ですし、救いが欲しいと思いますが、間違っている所でそれを探します。即ち、死者の中で探します。
例えば、圧迫された人は、他の人を圧迫します。自分の弱さを恐れる人は他の人をいじめます。政治上の自由が欲しい人は、他の人をひとじきに取ります。しかし、それは聖金曜日の考え方です、本当の救い主がまだお墓の中にいるような考え方です。
又、ある人は、成功を探して、罪やよくばりや犯罪の中に見ます。この世の物の中で幸せを探せば、失望が多いでしょう。又、私達は他の人を信頼しますが、失望させられる時もあります。それで、心の中に、疑いと恐れと恥が入ります。なぜなれば、間違っている所で物を探すからです。
天使が女の人達に話した事を思い出して下さい。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。《それで、生きているものを生きているものの中で、探さなければなりません。甦られた主を、生きているものの中で探さなければなりません。墓地のお墓の中ではなくて、生きている人の中にいます。キリストご自身が生きているからです。それで生きている私達と共にいます。
キリストの愛が広いので、キリストがどこにいるか分からない人の所にも届きます。ご自分のいる所を全ての人々に教える為に、弟子達を全世界に送りました。キリストが甦られたと言う福音を人々に伝えます。今日、私達はそれをします。
天使が女の人達に聞きました、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか《と。しかし、私達はそうしません。私達はイエス様を見つけました。彼が生きて、私達の心の中に住んでいます。彼は私達の心を活かします。私達の毎日の人生を活かします。希望があります。愛、喜び、平和があります。キリストやほかの信者達の交わりがあります。
私達はイエス様の住所を知ります。しかし、もっと大事なのは、イエス様は私達の住所を知る事です。それで、私達の所に来られて、復活の喜びで私達を祝福して下さいます。
アーメン。
ハレルヤ!主は甦りました。アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会