2016年4月3日 復活祭#2
ヨハネ20:19-31 (イースターの夕方、8日目)
1. 喜び、慰め、信仰告白(プライド)
甦られた主と出会う時、どう反応するでしょうか。弟子達と同じでしょうか。 彼らには喜び、慰めと、信仰告白がありました。
2.喜び。
イエス様が甦られた夕方、弟子達には、恐れと悲しみと混乱がありました。彼らの友達が死んだので、淋しくて悲しみました。何が起こったか、まだ分かりませんでしたし、又起こった事を誤解しました。イエス様が本当に復活したでしょうかと思いました。救いと永遠の命を得られた事をまだ完全に理解しませんでした。
ユダヤ人を恐れました。ユダヤ人が彼らをも逮捕して十字架につけると恐れたでしょう。
私達の友達が死にましたら、私達も悲しみま
す、私達の人生が変わります。それで、私達は弟子達の悲しみが分かります。私達クリスチャンには復活の希望だけがありますが、弟子達は自分達の目で、復活したイエス様を見ました。
イエス様が現れた時、弟子達はイエス様の為にも、自分の為にもうれしかったです。信仰によって、私達が甦られたイエス様と出会う時も同じです。イエス様の為にも自分の為にも嬉しいです。私達の人生が変わります。希望があるので、喜びが与えられています。
3. 慰め。
弟子達がユダヤ人を恐れるべきだったでしょうか。又、私達がイエス様の信者であるので、私達は迫害を恐れるべきでしょうか。たまに、そうでしょう。しかし、それより恐ろしいものがあります。即ち、恐れるべきものとは、地獄です、死です、神様です。神様を恐れるべきであるのは、神様は裁き主であるからです。
復活された夜、イエス様は弟子達に、その恐れを取り除いて、最高の慰めと安心と平和を与えるものを下さいました。赦しを与えました。
人々にその赦しの平和を与える仕事を弟子達に与えました。今日も、教会の中で、聖霊はその平和を与えます。罪の赦しの宣言の中にあります。聖餐式によって与えられています。ですから、礼拝の最後の祝福の言葉が大好きです:私達の心と思いに平和を与えるからです。
キリスト信者ではない人はこれを理解する事が出来ません。ただ抱く事、銀行の貯金、良い天気、冷たいビールの一杯などで一時的に慰められています。それで、イエス様は弟子達と私達を遣わせます:福音の永遠の喜びと慰めを述べ伝える為です。
4.信仰告白。
トマスの信仰告白は私達の信仰告白でもあります、「私の主、私の神よ」。私達はイエス様を見た事がありませんが、私達が特別の方法で祝福されているとイエス様は教えました。特別であるのは、信仰は聖霊の働きであるからです。そのほうが良いです、自分の目で見るより幸いです。もっと確信できます。何故ならば、私達の信仰は、自分の経験や自分の感情に基づいていないからです。私達の感情は変わりますが、神様の御言葉は変わりません。神である聖霊の働きは確信出来るものです!
今日の説教の最初のアウトラインは、「喜び、慰め、とプライド」でした。しかし、気をつけないと、プライドは罪になります。しかし、私達が祝福されていると感じます、特別に大事にされたと感じます、そして、これは私達の信仰告白の一部です。私達の信仰告白を活かす勇気を与えます、即ち、イースターの復活の喜びと慰めによって、完全にクリスチャンとして活きる勇気を与えます。
それで、私達はトマスと共に信仰を告白します、「私の主、私の神よ」。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会