私の好きな聖句 – ローマ8:28
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《

2017年7月30日

ローマ8:28-39
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
8:31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
8:36 「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている《と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです


僕が小さい時からの、好きな聖句はローマ8:28です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《多分、日曜学校の暗証聖句だったでしょう。とにかく、今もはっきりおぼえます。ある日、家の裏庭で遊びました。僕の赤いワゴンを地下室の倉庫から引っ張り出そうと思った時、足が滑って、ワゴンにはさまれました。大変だと思いました。そして、突然この聖書の言葉が私の頭の中に入りました。このような時に聖句をおぼえ出す事が変だなと思いました。それで、神様が僕を助けて下さるだろうと。そして、助けて下さいました。その日から、この言葉は私の一番好きな聖句になりました。

私は生まれつき楽観(らっかん)主義者(しゅぎしゃ)でこの聖句が私の性格にあっていたのでしょか。それとも、この聖句の為に、私が神さまに希望をする、神に信頼する、神を信じる楽観主義者になったのでしょうか。自分の人生の中に、多くの困った時にこの聖句が私の心に流れて来ました。ちょうど良い時でした。そして、私に平和を与えました。この平和に3つの部分があります。 最初の平和は確信です。即ち、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《これは神様の約束です。ですから、ただの信仰や希望ではなくて、知ることです。私の愛する神が私を守って、よく私を大事にする事を知ります。神様がそれをするのは、私が良い人であるからではなくて、私が神を愛するからでもなくて、神様が私を愛するからです。私を大事にする理由とは、私が彼のご計画に入っているからです。それは、その言葉の意味です、即ち、「御計画に従って召された者《と。それで、私が何か特別な人のように感じます。同時に、謙遜を持っています。どうして神様が私のような人を大事にするでしょうか。どうして、私のような価値がない罪人の為に十字架の上に死ぬでしょうか。どうして聖霊は「福音によって私を召し、その賜物をもって私を照らし、まことの信仰のうちに私をきよめ、支えてくださる《でしょうか{使徒信条第三条説明}。これは完全に神様の業で、純粋な福音です。

二つ目の平和とは、安心です、現在の為にも将来の為にも心配がない事です。どのように困った状態が良くなるか分からなくても、神様が私を守るとわかります。 「万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《この中で好きな言葉は「万事が益となるように共に働く《です。「万事《という言葉に入るのは、事故、病気、問題、喧嘩、争い、私の誤り、私の罪、私の悪い癖、等等。神様は私の間違いを取って、何か良い事にする事が出来ます。私の罪を取って、赦しと聖霊の業によって、そのようなものでさえも、良い事にする事が出来ます。それを知って、自分の肩から大きな重荷をおろします。

私の祈りの為にも平和を与えます。神様がこれをするのは、「神を愛する者達《の為です。ですから、私だけの為にではなくて、神に召されてすべての信者の為にです。ですから、困っている友達の為に祈る時、神様が彼らの為にも「万事が益となるように共に働く《事を知ります。ですから確信と希望を持って、祈ります。彼らの健康と幸せの為に祈ります。平和の為に祈ります。「平和があるように《という祝福の挨拶します。祝うのは、私達が皆が「御計画に従って召された者たち《であるからです。

3年ごとに、使徒書としてローマ人への手紙を読みます。その時、8章28節を読みます。それで、3年ごとに、私は自分の人生を振り返って見て、本当に神様が私の為に「万事が益となるように共に働《いていたかどうかと思います。まず、生きています。ある痛みがなくなりました。関節痛が良いものとあんまり思いませんが、毎日飲んでいるグルコサミンが効いているので、神に感謝します。それで、他の人に同情があるでしょう。一週間入院したときは、病院や健康管理の大切さの勉強になったでしょう。この3年間、他の人の為の祈りが答えられたでしょうか。はい、そうです。でも、ある祈りを続けて祈ります。病気の人の回復を見ました。又、楽しい時もありました。私の為にや私の愛する人の為に、神様の働きを見ました。又、この教会の益の為の神様の働きを見ました。

悪い状態から良いものを造ると言いましたら、十字架上のイエス様を覚えましょう。十字架と空っぽのお墓。死と復活。苦しみと癒し。世の罪と御子を送るほとの神の愛。それで、私達には十字架と悲しみがある時、イエス様の十字架と苦しみを見て、イエス様の復活と勝利をも見ます。これは私達のイエス・キリストにある希望と信頼の源と土台です。

最後に、このローマ8:28の聖句が私に平和と好奇心(こうきしん)を与えます。例えば、自分がこれから何をすれば良いか全然分からない時、考え始めます、「O.K., 神様、どのように私を今の困った状態から助け出すでしょうか。どのように良いものにするでしょうか。どの奇跡をなさるでしょうか《と。このような好奇心があれば、恐ろしい経験の中にもちょっとした興味を入れます。

そして、最高の益になる時がいつか来ます。この罪と悪と問題ばかりの世からの開放です。今日の使徒書の際の節が言うとおりです。何も「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。《いつまでも主と共にいます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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