2017年7月30日
ローマ8:28-39
私は生まれつき楽観(らっかん)主義者(しゅぎしゃ)でこの聖句が私の性格にあっていたのでしょか。それとも、この聖句の為に、私が神さまに希望をする、神に信頼する、神を信じる楽観主義者になったのでしょうか。自分の人生の中に、多くの困った時にこの聖句が私の心に流れて来ました。ちょうど良い時でした。そして、私に平和を与えました。この平和に3つの部分があります。 最初の平和は確信です。即ち、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《これは神様の約束です。ですから、ただの信仰や希望ではなくて、知ることです。私の愛する神が私を守って、よく私を大事にする事を知ります。神様がそれをするのは、私が良い人であるからではなくて、私が神を愛するからでもなくて、神様が私を愛するからです。私を大事にする理由とは、私が彼のご計画に入っているからです。それは、その言葉の意味です、即ち、「御計画に従って召された者《と。それで、私が何か特別な人のように感じます。同時に、謙遜を持っています。どうして神様が私のような人を大事にするでしょうか。どうして、私のような価値がない罪人の為に十字架の上に死ぬでしょうか。どうして聖霊は「福音によって私を召し、その賜物をもって私を照らし、まことの信仰のうちに私をきよめ、支えてくださる《でしょうか{使徒信条第三条説明}。これは完全に神様の業で、純粋な福音です。
二つ目の平和とは、安心です、現在の為にも将来の為にも心配がない事です。どのように困った状態が良くなるか分からなくても、神様が私を守るとわかります。 「万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。《この中で好きな言葉は「万事が益となるように共に働く《です。「万事《という言葉に入るのは、事故、病気、問題、喧嘩、争い、私の誤り、私の罪、私の悪い癖、等等。神様は私の間違いを取って、何か良い事にする事が出来ます。私の罪を取って、赦しと聖霊の業によって、そのようなものでさえも、良い事にする事が出来ます。それを知って、自分の肩から大きな重荷をおろします。
私の祈りの為にも平和を与えます。神様がこれをするのは、「神を愛する者達《の為です。ですから、私だけの為にではなくて、神に召されてすべての信者の為にです。ですから、困っている友達の為に祈る時、神様が彼らの為にも「万事が益となるように共に働く《事を知ります。ですから確信と希望を持って、祈ります。彼らの健康と幸せの為に祈ります。平和の為に祈ります。「平和があるように《という祝福の挨拶します。祝うのは、私達が皆が「御計画に従って召された者たち《であるからです。
3年ごとに、使徒書としてローマ人への手紙を読みます。その時、8章28節を読みます。それで、3年ごとに、私は自分の人生を振り返って見て、本当に神様が私の為に「万事が益となるように共に働《いていたかどうかと思います。まず、生きています。ある痛みがなくなりました。関節痛が良いものとあんまり思いませんが、毎日飲んでいるグルコサミンが効いているので、神に感謝します。それで、他の人に同情があるでしょう。一週間入院したときは、病院や健康管理の大切さの勉強になったでしょう。この3年間、他の人の為の祈りが答えられたでしょうか。はい、そうです。でも、ある祈りを続けて祈ります。病気の人の回復を見ました。又、楽しい時もありました。私の為にや私の愛する人の為に、神様の働きを見ました。又、この教会の益の為の神様の働きを見ました。
悪い状態から良いものを造ると言いましたら、十字架上のイエス様を覚えましょう。十字架と空っぽのお墓。死と復活。苦しみと癒し。世の罪と御子を送るほとの神の愛。それで、私達には十字架と悲しみがある時、イエス様の十字架と苦しみを見て、イエス様の復活と勝利をも見ます。これは私達のイエス・キリストにある希望と信頼の源と土台です。
最後に、このローマ8:28の聖句が私に平和と好奇心(こうきしん)を与えます。例えば、自分がこれから何をすれば良いか全然分からない時、考え始めます、「O.K., 神様、どのように私を今の困った状態から助け出すでしょうか。どのように良いものにするでしょうか。どの奇跡をなさるでしょうか《と。このような好奇心があれば、恐ろしい経験の中にもちょっとした興味を入れます。
そして、最高の益になる時がいつか来ます。この罪と悪と問題ばかりの世からの開放です。今日の使徒書の際の節が言うとおりです。何も「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。《いつまでも主と共にいます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会