執り成しの祈りをして下さる聖霊

2014年7月20日


ローマ8:18-27
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。8:23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

私の好きな聖句の一つは、今日の使徒書です、特に、ローマ8:26-27です。「8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」

私達が何の為に祈るか、どうやって祈れば良いか分からない時、体が弱くて、心が乱れている時、ストレスで祈る事が出来ない時、この言葉は私達の弱い祈りに力と勇気を与えます。ある時、私達の祈りは本当にうめきです。熱があって、ベッドに寝ている時、痛みの為にうめきやため息ばかりです。ため息の後に「アーメン」をつけると、祈りになります。聖霊はそれを聞いて、父なる神様に執り成して下さいます。聖霊は、仲介者や通訳者です。聖霊は私達の心の思いも体をも知るので、私達の痛みの本当の原因が分かります。それで、私達の為に、執り成して下さいます。

この説教の準備として、このテキストを考え始めた時、私達人間の個人的なうめきだけを考えました。しかし再びローマ8:26を読みますと、うめきをするのは、聖霊であると言います。「8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」ではどうして聖霊がうめいているでしょうか。それは神様が私達を愛するので、私達には痛みや問題がある時、神様がその痛みが分かるからです。それはイエス・キリストによってです。ゲツセマネの園の中で、又十字架上で苦しんだイエス様の上に、私達の痛みや悲しみがあったからです。十字架上でうめきをしました。十字架上でイエス様は私達の為に祈りました。神様が私達の罪を見る時、神様は悲しくなります。その罪の為に聖霊がうめくでしょう。私達の罪を知るからです。罪人として、私達は神様の聖なる王座の前に立つ事が出来ません。それで、聖霊は私達の為に執り成して下さいます。それで、イエス様の死と復活によって、私達の罪が赦されています。あなたが自分の罪の為に後悔する時、ため息が出る時、小さい声でも「アーメン」と言いますと、それは祈りになります。聖霊はあなたのうめきを聞いて、あなたの為に祈ります。

しかしある時、問題がある時、うめきよりも、呪いの言葉や別の汚い言葉や冒瀆が出て来ます。その言葉の後に「アーメン」を加えましたら、それが祈りになるでしょうか。金槌を使って自分の親指を打ったら、そのかわいそうな金槌を呪いましたら、聖霊はあなたの痛みを知るでしょう。聖霊はあなたの涙を見ます。又、別の人の事でいらいらして怒って、その人にひどいことを言ってしまいますと、聖霊はあなたのフラストレイションを知ります。しかし、それは祈りになる事が出来るでしょうか。「お前は馬鹿、アーメン。」と。それが本当の祈りになる為に、聖霊が良い解釈をする為に、知恵を利用しなければならないでしょう。そして、私達も心の中で、習慣として、私達の呪いを祝福にするように、侮辱もその他の人に対する愛に変わるように動力しなければなりません。私達が悪いので、聖霊は悲しんでうめきます。しかし、その同じ聖霊、洗礼を受けた時に受けた聖霊は、神様の王座の前で、私達の為に執り成していて下さいます。 人間だけではなくて、自然界もうめきをもって不平を表しています。ローマ人への手紙で聖パウロは書きました。8:20-22、「8:20 被造物(ひぞうぶつ)は虚無(きょむ)に服(ふく)していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従(ふくじゅう)させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属(れいぞく)から解放(かいほう)されて、神の子供達の栄光に輝く自由にあずかれるからです。22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている事を、私達は知っています。」 人間の罪の重荷の為に、被造物はうめいています。地面を動かす地震の轟きの音があります。台風の音こそはうめきや泣き叫ぶ声のようです。津波の破壊があります。北極の氷が溶けて割れて、暖かくなった海にしぶきをあげて落ちます。山火事は燃える火によって恐れと災害を増やします。空気汚染は私達の吸う空気を汚します。聖パウロはこれを地球温暖化、Global Warming といわないで、Global Warning, 地球にたいする警報だと言います。その虚無その滅びへの隷属が終わると言う警報や宣言です。希望を与えるしるしです。マタイ24:7-8で、イエス様はこの事について語りました、「民は民に、国は国に敵対(てきたい)して立ち上がり、方々に飢饉(ききん)や地震が起こる。しかし、これらはすべて産(う)みの苦しみの始まりである。」

イエス様も聖パウロも、自然のうめきを「生みの苦しみ」と言います。新しいものをそろそろ生みます。自由が生みます。救いが生みます。これは私達クリスチャンが持つ希望です。被造物は、いつか滅びへの隷属(れいぞく)から自由になります。そして、聖霊によって生まれ変わった者である私達が、「神の子とされる事、つまり、体の贖われる事を」いただきます。この希望があるので、忍耐して待ち望んでいます。

この堕落した世でうめきをもって苦しんでいますので、忍耐は難しいと思います。キリスト信者の忍耐は、希望に基づいています。この希望は、イエス・キリストに対する信仰と信頼に基づいています。即ち、約束を守るイエス・キリストに基づいています。しかし、時々私達の信仰が弱いです。この世の問題を見る時、この世のうめきを聞く時、どうなるかなと思います。自然のうめき、人間のうめきと不満、経済状態がメチャメチャ、戦争があり、新しい戦争のうわさがあり、家族の問題、そして、私達一人一人の問題があるので、私達もうめきます。心配も、自分の痛みと病気もあります。いつよくなるでしょうか。がまんする事が出来るでしょうか。忍耐が本当に必要です。

自分の苦しみについて不平を言う時、イエス様の苦しみを考えなければなりません。聖書によりますと、この世の苦しみをご自分の上に取って下さった時、不平を言われませんでした。逮捕された時、ご自分を告発した人にも、ご自分を十字架につけた人にも、のろいの叫びをあげませんでした。私達を愛して下さいますので、ご自分の死によって、世の罪を赦しました。そして、御自分の復活によって、この世に希望を与えました。復活と救いの希望があるので、私達の苦しみの中にも希望があります。それで、希望と忍耐があります。

実は、文句や不平を言うべきものが沢山あります。しかし、同時に、私達はイエス・キリストによって希望があるので、祈ったり、働いたりするべきものも沢山あります。そして、自分が祈る事が出来ない時、どうやって祈れば良いか分からない時、私達の為に祈って下さる聖霊に感謝します。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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