守護の天使

2013年9月29日
マイケルとすべての天使の日

先週、日本ルーテル教団の教職者会に参加しました。3年1回の会議です。参加した人は22名でした。会議の場所は2年半前に、2011年3月11日の東北の大きい地震と津波があった所です。

会議の2日目にバスにのって、自分の目でその災害の地域を見ました。南三陸村と気仙沼市でした。もう2年経ちましたので、ガレキはほとんど残っていません。その住宅の壊れた木材、そのレンガ、水道管、水に漬かった家具、遺体も、もうありません。残っているのは、その家のコンクリートの土台だけです。港から山まで、その10メートルの津波は全部を破壊しました。その津波があった平野に、新しい家を作る事が禁じられていますので、山をけずって新しい家を建てますが、多くの人々はまだまだ一時的なシェルターの中に住んでいます。小さいですが安全です。地震の為に、1メートルほど水没(すいぼつ)してしまった港を造り直して、漁業が復活しています。しかし19,000人が命を失いました。

教職者会の開会礼拝で、新潟県の新発田ルーテル教会の牧師、士反先生は、本から読みました。それは気仙沼の出身のキリスト信者が書いた本です。本を書く人によりますと、クリスチャン達はよく「何故」と聞きます。仏教の信者や日本人の神道の信者は、決して「何故」と聞かないで、ものをすなおに受け入れるそうです。クリスチャン達が、何故神様が災害と事故と悪いことが起こる事を許すかと聞きます。「イエス様、どうして私の愛する人が苦しんで死ぬでしょうか」等と聞きます。仏教の信者は阿弥陀仏がものごとを説明するようにと聞かないそうです。著者はイスラム教について何も書きませんでしたが、私の理解では、イスラム教はすべての事、災害も、アラーの計画に従えっているので、それを疑ってはいけないのでしょう。

士反先生の話しを聞いて、キリスト信者達は本当にいつも「何故」と聞くのだなと思いました。旧約聖書の詩篇を書く人も神様に聞きました。 詩篇10:1、「主よ、なぜ遠く離れて立ち/苦難の時に隠れておられるのか。」 詩篇22:1―2、「私の神よ、私の神よ/なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず/呻umeきも言葉も聞いてくださらないのか。私の神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。」

キリスト教は神様の憐れみ、愛と恵みを信じます。ヨハネ3:16、詩篇23篇、良い羊飼いなどです。神様が私達を助けたい、守りたい、癒したい事を信じます。イエス様は病気の人を癒したり、お腹が空いた人を食べさせたりしました。同じ事が私達の為にも出来ると信じます。それで希望と確信を持って祈ります。

それで災害が起こる時、私達は「神様、何故か」と聞きます。神様が私達を守りたいと思う事を信じますので、危険の時、どうして神様が私達を助けて下さらないか、私達は理解する事が出来ません。天災をも、人間が起こす災害も、事故、病気、疫病、喧嘩、争い、絶望と失敗、失恋と毎日のストレスの時、「神様、何故?」「どうして僕か」、「どうしてその人か」と聞きます。

今日9月29日、教会の暦では、ミカエルとすべての天使の日です。天使は私達を守って助けます。私の守護の天使は何回も守って下さいました。特に車の運転している時です。事故にならなかったニアミスは何回かあって、いつも神様の守りの為に感謝しました。しかし、私の守護の天使は時々休んでいるみたいです。この世界を守る為に、どうして神様は天使を送らないでしょうか。一つの天使の軍隊がありましたら、その津波の水を防げて、その海辺の町を守る事が出来たのにと神様に聞きます。

クリスチャンが「何故」と聞くのは、私達は悪を理解する事が出来ないからです。恵み深い、愛深い神様を信じるので、悪を理解しません。悪人がいます。天災は害悪です。罪は悪です。結局、聖書が言うのは、すべての悪と死の原因とは、罪です。私達が犯す罪をも、この罪深い世です。それは、この世が神様を否定するからです。

どうして神様はその津波を送ったでしょうか。どうして神様はその津波を許したでしょうか。私達は分かりません。その地域の人間がほかの人間より罪深い者でしょうか。そうではありません。時々、説教者は、何かの災害は神様の怒りの為であると言います。神様はある人々を罰したいと思うからです。他の人を裁くのは決してよくありませんので、原因を説明する事を遠慮した方がいいでしょう。神様のなさる事は、人間の理解を越えるものです。

しかし根本的な理由とは罪です。そして一番ひどい災害とは、この世の終わりに、神様がこの世を破壊する時です。その時、すべての罪と罪人を破壊します。

それが起こる前に、神様は天使を送ります。マルコ13章26-27節、「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

本当の問題は罪です。天使は力強いです。奇跡が出来ます。私達を守る事が出来ます。しかし天使は罪を赦す事が出来ません。それで私達を救う為に、神様は天使を送りませんでした。赦しは神様の御業です。救いは、私達の為に犠牲になった神様の子であるイエス様によるのみです。それこそは悪魔を征服する方法です。戦争によってではなくて、愛と救いによります。

私達の救いの為に、神様は天使を送りませんでした。僕や支配者や経理者を送りませんでした。御子を送って下さいました。ですから、十字架上のイエス様の死には、罪を赦す力と私達に新しい命を与える力があります。天使の仕事は、救いを告げる事です。それで、クリスマスの時やイースターの時に神様は御使いを送りました。「エンジェル」と言う言葉は、聖書のギリシャ語の言葉で、「メッセンジャー」と意味します。神様の御言葉を説教したり教えたり証ししたりするメッセンジャーが牧師や教師や伝道師ですが、天使の仕事をします。そして、神様の御言葉であるので、その人の言葉には力があります。

今日、ミカエルと天使の日です。天使は霊であるので、体を持っている私達人間には分かりづらいです。しかし、私達は神様の愛が分かります。それで、神様に感謝します。天使は私達に信仰の道に私達を導いて、私達の人生の道に守って下さいます。

アーメン。

主日の祈り

永遠の神、あなたは人の思いを越えたご計画によって、人間と天使を創造し、その役割を定められました。私達の命のある限り、あなたに仕え、与えられた努めを果たすことができるように、聖なる天使によって助け、守ってください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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