2024年7月14日
ヘロデ王は、自分が洗礼者ヨハネにした事を思い起こしてわずらいました。何故ならば、6:20「ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである《と。ヨハネはヘロデが律法を破りましたと言いました。それは、ヘロデが自分の兄弟の妻ヘロディアと結婚したからです。聖書では、それは近親相姦(kinsin-soukan)のようです。ヨハネはその罪を公にせめましたので、ヘロディアはヨハネを恨みました。ヘロデ王は弱い人でした。妻の娘を通して妻の要求に負けました。王は非常に心を痛めました。一つはその誓った事で、もう一つは勇気をもてその誓いを破らなかった事、もう一つはヨハネの首をはねるように命令した事です。それで、イエス様は新しい預言者のように福音宣教を始めた時、ヘロデはヨハネの事を思い出して、した事によって思い悩みました。
私たちは誰かの首をはねた事がないでしょうが、忘れたくても忘れる事が出来ないことがあるでしょう。罪か犯罪か誤りなどでしょう。私達がやった事や言われた事によって誰かに傷つけたでしょう。昔の事でしても、思い起こす時、良心が痛みます。過去の事から逃げられません。
ヨハネはヘロデの罪をせめた時、ヘロデはヨハネを牢に入れました。彼を静かにするためでした。真実を黙らせる、真理を隠す、それを消す事です。しかし、ヨハネを殺しても、真実を黙らせる事が出来ませんでした。ヘロデはイエス様について聞きました。イエス様は悔い改めについて語りました。ヘロデは自分も悔い改めるべきとわかりました、その古い罪に対する悪い良心、恐れと後悔のみが戻りました。
私達は過去を忘れたくても思い起こす事があります。それを認めたくない、それを隠したいと思います。自分を非難して、とがめる人を静かにしたいと思います。自分が偽善者であると分かりますが、別の生きかたを知りません。
ヘロデ王は自分の責任から逃げたいと思いました。「俺の妻ヘロディアのせいだった《と。いいえ。自分自身のせいでした。そのために神様は彼を裁きます。
私達も自分の責任から逃げられません。「僕には、別の選択がなかった《と。いいえ。私達の自分のせいです。そのために、神様は私達をせめます。
ヘロデはイエス様の説教を聞いた時、怖れました。6:16「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ《と言いました。仕返しを恐れたでしょう。しかし、イエス様の言葉はヨハネのメッセージと違います。仕返しではありません。イエス様はヘロデの過去をただ忘れた訳ではありません。イエス様は私達に私達の過去をも思い起こさせます。なかったふりをしません。イエス様は私達の過去を取り上げて、十字架と空っぽのお墓までその過去を持って行きます。私達の罪や誤りや後悔などを思い起こすのは、ご自分のすばらしい関心と愛と赦しを思い起こすためです。一つの盆があります。その上に載せるのはご自分の首ではなくて、彼の尊い体と血です.ご自分の食卓にあります。ここには、私達のために新しい命、新しいスタートがあります。これこそが私達の求めるものです。自分の過去を思い出す時、イエス様の過去の行いをも思い出します。すなわち、十字架の日、復活の日を覚えます。イエス様の言葉は滅びの宣告ではなくて、ご自分の死と復活による命を与える言葉です。
私達はその神の言葉を信頼しますので、全部が変わります。私達の過去がめちゃめちゃだったかもしれません。でも、私達の心と行動を知る神様からそれを隠すことが出来ません。私達を愛する神様を信頼します。心から悔い改めて、神の憐れみを信頼して、神の赦しを受け入れて、自分の人生のために自信があります。過去を恐れることよりも、将来に向かって、今の時を生きます。
過去を思い出して、その有罪感と恐れが起こりましたら、十字架の山と空っぽのお墓を覚えてください。それこそは古い重荷を取り除きます。バプテスマのヨハネの非難、私達の周りの人が正しく私達の誤りを迫る声を聞きます。しかし、間違いを直す事が出来ます。私達に傷をつけた人を赦すことが出来ます。私達は平和を受けます。
洗礼者ヨハネを覚えて、自分の洗礼を覚えます。そして、聖餐式の時イエス様の体を食べて、その血を飲むとき、イエス様が言われたように、イエス様による救いを記念します。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会