交わりの大切さ

2016年8月28日



第1朗読 エレミヤ9:22~23(旧1194)

9:22 主はこう言われる。

知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。

9:23 むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、

と主は言われる。

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第2朗読  ヘブライ13: 1~ 8(新418)

13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。 13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。 13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。 13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。 13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」

13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。

13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

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福音書  ルカ14: 7~14(新136)

14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、 14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

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私達の教会の大切な活動の一つは、礼拝と祈り以外に、交わりです。それで、礼拝後いつもコーヒータイムやティータイムを持ちます。私達の教会では、毎月持ち寄りもします。 交わりの目的とは、勿論、楽しい時間を過ごす事ですし、又、他のクリスチャンと共にいる為です。そのクリスチャン同士には、私達と同じ喜びと苦労があるからです。私達は彼の信仰と神様への信頼を見るので、私達自身の信仰と神様への信頼が強くなります。 彼らの人生の中のキリストの働きを見たら、自分の目が開aけられて、自分の人生の中で働くキリストを見る事が出来ます。他のクリスチャンの生き方を見ると、私達が一般のノンークリスチャンの人々と同じ事をしなくてもいいと分かります。他の人のように、無礼にしなくてもいい、悪いや卑iyaしい言葉を使わなくてもいい、他の人をいじめなくてもいいと分かります。言い換えますと、愛を持って、成功の人生を送る事が出来る事を、クリスチャンの交わりによって分かります。

今日の福音書の日課で、イエス様は交際的な忠告を下さいます。宴会に招いた時と、自分の宴会に人を招く時です。自分が客でしても、ホーストでしても、大切なのは、けんそんです。

今日の第2日課、ベブライ13章で、社会の中で活きる忠告があります。  後でそれについて話します。

今日の旧約聖書の日課、エレミヤ9章で、主なる神様の忠告は、主の裁きから救われる方法です。エレミヤは、イスラエルの多くの罪を非難しました。しかし、一番ひどい罪とは、遇像礼拝でした、即ち、イスラエルの神である主を忘れる事です。その遇像礼拝は、イスラエルの全ての苦しみと全ての問題の原因です。ですから、イスラエルの民を罰する為に、神様は、敵である遠い北の国の軍が来るようにします。その敵はユダの町を滅ぼします、又、人々を捕囚(ほしゅう)に連れます。しかし、エレミヤは希望を与える主のみ言葉を述べ伝えます。

ユダの人々は主なる神様を忘れました。イスラエルを救い出した神様の愛を忘れまして、自分の力を誉めました、自分の富によってプライドを持ちました。自分が作った遇像、木や金や銀で作った遇像に誇りを持ちました。しかし、その遇像が人間で作った物であるので、価値が無い、力が無い物です(10:3-5)。エレミヤ10章10節でこのように書きました、「主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。その怒りに大地は震え(ふる)/その憤(いきどお)りに諸国の民は耐(た)ええない。」

唯一の救いとは、誠の神を知る事によってです。この神こそは真実の知恵、本当の力と、本当の価値がある物を与えます。救いは、主を知る事です。 主を理解する事です。主を知ると、神様に本当に喜ばしい事が分かります。主の働きの中で、主が喜んでする事が分かります。エレミヤ9:23を読みます、「むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚(めざ)めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。」

「慈しみ」と言う言葉は特別なヘブライ語の言葉です。神様の「恵み」と「愛」と「忠実な愛」と「親切」もこの言葉に入っています。この永遠の愛は約束を守ります。憐れみと恵みと特別な親切が入っている愛です。アブラハム、モーセ、ダビデの時代から表された愛です。この恵み深い愛を、とくに、イエス様の働きの中で見る事が出来ます。イエス様の素晴らしい愛と憐れみを見る時、全ての遇像に価値が無いと分かります。遇像は決して私達の為に死んで下さらないし、決して私達を助ける事が出来ません。それが出来るのは、イエス・キリストによる主なる神様だけです。正義と恵みの業です。私達は救い主である神様と結ばれているからです。

主を知る時、主の愛を知ります。この永遠の愛はヘブライ13:8です:「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」主を知る方法とは、御言葉や他のクリスチャンの生活によってです。ですからヘブライ13:7はこのように忠告をします、「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣(みなら)いなさい。」クリスチャンの生活振りの特徴(とくちょう)がベブライ13章にリストアップされています: 友情、おもてなし、困った人を助ける事、結婚の忠実、満足、と信頼です。この課題一つ一つ説教するべきでしょう。しかし、一番良い説教とは、私達の回りのクリスチャン達の人生の中で働く主の業を見る事でしょう。私個人の場合はそうです。先ず私のクリスチャンの両親、先生達、友達、数人の牧師達、又、幾つかの教会の中の素晴らしい信者の中です。又、キリストの働きを知るので、正しい生き方を学んできました。キリストの死と復活の中で、彼の忠実な愛と絶えず恵みを見ます。これは赦しです。この赦しは私達に新しい命と新しい生き方を与えます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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