2018年2月18日、受難節第一主日
マルコ1:12*13「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。《
マタイ4:1*11
「4:1 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
4:2 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
4:3 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。《
4:4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。《
4:5 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
4:6 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。《
4:7 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある《と言われた。
4:8 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
4:9 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう《と言った。
4:10 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。《
4:11 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。《
多くの人はイエス様が神である事を受け入れません。疑います。キリスト信者ではない人がそれを認めないが、キリスト信者がそれを信じます。しかし、たまに、キリスト信者でも、聖書の言葉を疑います。もしその疑いが更に強い、より深い信仰に移りましたらいいです。ですから、私達クリスチャンは聖書の勉強が好きです。又、疑い深いトマスの話が好きです。彼の話しは私達の話であるからです。イエス様の手と足と脇腹に有る傷の理由が分かるまで、疑いがあるからです。そして、その理由を分かれば、トマスと共に信仰を告白します:“我が主、我が神。”
分かりにくい、信じにくい事があります。例えば、1乙女の誕生、2奇跡、3癒し、4水の上を歩き、5御自分の苦しみと死について前知、6復活、7昇天、8聖霊を送る事等です。
イエス様が人間であった事を認めない人が少ないです。明確に、イエス様がお腹の空いた時、喉が渇いた時、十字架上の痛み、友達ラザロが死んだ時の悲しみ、神殿の中の商売人に対する怒り、十字架上の死と葬られた事です。
又、イエス様が人間である事が私達の救いの為に必要であったのは、神が死ぬ事が出来ないからです。
ですからキリストの「二つの性質《があります。私達の救いの為に、イエス様が同時に神であり人間である事が必要です。
裁判の時、ユダヤ人の群衆は、イエス様が、自分が神の子であると言ったと訴えました。それで、ピラトはイエス様を鞭打って、紫の衣を着せました。彼を群衆の前に立たせて、「見よ、この男だ《と言いました。『見て下さい。彼がただの人間です、全然神なんかじゃない。恐ろしい者ではない。解放しましょう。』しかし、群衆は「十字架につけろ。十字架につけろ。《と叫び続けたので、最後にピラトはその通りにしました。
最近、キリストの誘惑を考えて、自分個人の解釈ですが、もしかしたら、サタンからの誘惑とは、イエス様が神であるかどうかテストするだけではなくて、イエス様が人間の性質を捨てるように誘惑したでしょうかと。と言うのは、そうでしたら、イエス様は私達の救い主になる事が出来ないからです。
現代の人は、イエス様の神の性質を信じにくいと思いますが、福音書を書いた人々には、その問題がありませんでした。イエス様が神であったと思いました。1クリスマスのストーリーは、キリストが乙女より生まれる事、イエス様の父は父なる神様であると教えます。2「インマヌエル《と言う吊前は「神が我々と共にいる《と教えます。3奇跡と復活は、神の子イエス様の力を教えます。福音書のストーリーは、どのようにして、神様がこの世界の物ごとに加えられている事を教えます。これこそはキリストは今日の神秘やつまずきの岩 です。と言うのは、神様は、天国にいますし、清い、罪がない聖なる者で、全能、前知、全知、永遠です。神様は人間になる事は考えられない事です。しかし、それこそは神様の御計画でした。ヨハネ3:16*17「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《
それで、最近、イエス様の誘惑の話を読んで、サタンはイエス様が人間として存在することをやめてもらいたいと思ったでしょうかと、思いました。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。《即ち、この意味でしょうか、『パンの為にお腹が空く馬鹿な人間ではなくて、この石をパンにしなさい。普通の人間には痛みと悲しみと心配とくやしさと喧嘩と死があるので、それをやめなさい。お前は神の子であるので、神になりなさい。
『神殿の屋根から飛び降りて、鳥のように飛びなさい。神は飛ぶ事が出来る。イエス、自由になりなさい。塵の中を歩くな。らい病人に触るな。その臭い罪人から離れなさい。天使を連れて天国に戻りなさい。
『イエス、お前は決してこの世を支配する事が出来ない。決して成功しないよ。出来ましたら、お前の人間を自由にするミッションが失敗してしまうよ。おれの弟子になれ。それで世を支配するようになる。俺を拝め!』
後で、サタンが再び誘惑を話しました。今度十字架の下に立った人を通して話しました、(マタイ27:40)、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。《サタンはイエス様が十字架上で死んで欲しくありませんでした。この世の罪を赦す神の子羊として、犠牲として、イエス様が死ぬ事をして欲しくありませんでした。『人間の罪を赦す人間をやめなさい。』
世の罪の根本的な罪とは、人間の根本的な罪とは、神のようになる事です。聖書に最初に記録された罪とは、人が自分の人間である性質を捨てて、神のようになろうと思う事です。
世の罪の根本的な罪とは、人間が神になりたい、神様のようになりたいと思う罪です。神様は世をしはいします、そして人も物事を支配したいと思います。他の人や、人生の出来事、天気でさえも、即ち、すべてを支配したいと思います。小さい子供から大人まで、支配する力を得る為に戦います。それで、喧嘩と争いと殺人と戦争があります。
私達クリスチャンが自分の罪を認める時、実際に物事を支配するお方を恐れるべきです。自分の責任と罪から逃げようと思って、自分の罪を隠したいと思います。いちじくの葉出ではなくて、言い訳などです。
しかし、アダムとエバは神様から身を隠す事が出来ませんでした。神様は彼を探して見付けました。主なる神はアダムを呼ばれました。「どこにいるのか《と。『あなたの事を心配するよ。あなたを愛するのです。あなたを守りたいのです。』それで動物の皮を衣として下さいました。
これはクリスマスの話です。イエス・キリストによって、神様が私達を探して見付けました。私達を救う為に、私達と同じようになりました。私達は人間です: 創世記3:19、「塵にすぎないお前は塵に返る。《しかし、キリストはあなたをその塵から甦らせて、永遠の命を与えます。これはキリスト教の神秘です。私達の希望と喜びです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会