もしバプテスマのヨハネが今日ここに来ましたら

2021年12月5日
アドベント第2主日

ルカ3:1*6
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』《

バプテスマのヨハネの説教を読みますと、そのメッセージが2000年後に生まれた私達の為のメッセージだと信じます。神様の御言葉が変わらないと私達は信じます。神様の約束が変わらないと信じます。私達が信じるのはヨハネの時代にも、私達の時代にも、いつの時代にも聖霊の働きは私達の心のなかに信仰を造り、洗礼の水で罪を赦し、洗礼の水は罪を清める水にします。このようにして洗礼者ヨハネのメッセージは私達にも語ります。

もしバプテスマのヨハネが今日、この沖縄にいる私達の所に来ましたら、どうなるでしょうか?ヨハネは現代的なテレビやラジオやインターネットを使う事が出来るでしょうが、彼はそれを使わないと私は思います。何故なら、彼はその当時にはやっているものを無視したからです。もし昔のやり方と同じでしたら、現代の日本の政治家のように、人込みの多い所に大きなスピーカーのついている車を置いて町の交差点で叫ばないでしょう。その変わりに、ヨハネは田舎に行くでしょう。沖縄には荒れ野がないので、ヤンバルのジャングルに行くか、ヨルダン川のような大きい川がないので海辺に行くでしょう。人々はその所に行って彼のメッセージを聞くでしょう。ヨハネはエルサレムのような大きな町を避(sa)けました。大きい町には罪と誘惑が多いからです。人々にその誘惑と罪を後にして、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼を《受けるように勧めたからです。

沖縄は狭い島でサンゴの盛り上がった島です。沖縄の道路はどうですか。広くてまっすぐな道路は少なく、それをはずれますと道が狭くて坂道が多く、またカーブが多く迷いやすいです。バプテスマのヨハネは運転しやすい高速道路について話していませんが、そのような言葉を使います。聖霊は車で来られませんが、聖霊が通る道は凸凹の道です:罪、誘惑、欲張り、畏れ、欲望、心配、痛み、悲しみ、頑固、上信仰、誤解の信仰が私達の心の回りにあります。聖霊は信仰と救いを配達しようと思いますが、救いの贈り物を送る途中で、迷ってしまい人間の心を見つけられないみたいです。勿論聖霊は人間の心を見つける事が出来ますが、その道は凸凹です。ですから洗礼者ヨハネは、その道を「まっすぐにせよ《、即ち、人生を「まっすぐにせよ《と言います。「罪の赦しを得させるために悔い改めよ《と言う表現を使います。悔い改めによって罪をなくしますと、聖霊は自由にイエス・キリストの福音を延べ伝える事が出来ます。勿論、イエス・キリストの福音が延べ伝えられている時だけ罪が赦されています。

もしバプテスマのヨハネが今日、沖縄にいる私達の所に来ましたら、どうなるでしょうか?この島に住む人々に何を伝え、どのような説教をするでしょうか。先ずイエス・キリストの福音を宣べ伝えます。彼のメッセージの一つの点は、昔と違います。キリストが来られる事の変わりに、キリストがもう既に来られたと話し、私達の罪を赦す為にどのように十字架上で死んで、どのように彼の死と復活が私達のバプテスマに新しい命と救いを与えるか、又、どのように、このキリストが地上に戻って、私達に復活と永遠の命を与えるかについて話すでしょう。 又、ヨハネは私達に洗礼を受けたクリスチャンとしての生き方を教えます。罪が赦された人々の人生の生き方を教えます。それは真っ直ぐな道を歩く事です。この世が真っ直ぐになるように働く事です。平和と正義の為に働く事です。ヨハネがいじめや誤りを見る時、それを批難します。上正義を見たら、家族の中であっても、商売や政府でも、環境の問題の中にも、この島の人々の社会問題の中にも、その悪を批難します。

最後に、洗礼者ヨハネが今日ここに来ましたら、きっと、話した事の為に権力者にたいして問題を起こすでしょう。ヨハネはヘロデの罪を批難したので、ヘロデに逮捕されました。今も多くの人々の罪を批難するので、多くの人々によって憎nikuまれるでしょう。私達をも見たら、私達も自分の罪の為に上安を感じるでしょう。ヨハネは洗礼を受けたキリスト信者達にも「悔い改めなさい《、「人生をまっすぐにせよ《と言うでしょう。そして福音を教えます。その福音とは洗礼の力があるので、私達が神様の道を歩む事が出来る事です。何故なら洗礼とは私達の人生の中で働く聖霊の力です。

バプテスマのヨハネがクリスマスツリーを飾ると思いますか。彼はそうしないと私は思います。しかし、待降節のアドベントリースのロウソクをつけると思います。ヨハネの仕事とはキリストの来られる事、即ちキリストの「アドベント《を私たちに教える事です。最初にクリスマス、次に私達の信仰の人生に、そして、世の最後に永遠の救いを与える為に再び来られるキリストを、私達に思い起こさせる事は洗礼者ヨハネの働きです。このようにして聖書の御言葉によって、今日も沖縄に来ました。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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