天の住まいへの道

2017年5月14日
  復活祭後第4主日


福音書  ヨハネ14: 1~14(新227/196)
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。《 1
4:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。《 14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。《
14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます《と言うと、 14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 14:13 わたしの吊によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14:14 わたしの吊によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。《

今日の福音書には、イエス様は2つの有吊な言葉を言われました。
14:2 「私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。《
14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。《

この言葉を話した時、最後の晩餐でした。十字架に付けられた前の夕方でした。過ぎ越しの祭りの夕食でした。過ぎ越しの祭りに関係を付けてイエス様の御言葉を見たいと思います。

過ぎ越しの祭りとその御馳走を食べる時、ユダヤ人はどのようにして神様が彼あらをエジプトでの奴隷状態から救い出して下さったかを記念しました。モーセの時代、救われた前日の夕方、イスラエル人は過ぎ越しの夕食を食べる為に自分の家に集まりました。その夜に食べた羊の血の少しをもって、家の門の上にも両側にも塗りました。それは、その家の中にいる人々が神様の救いの約束を信じているしるしでした。このようにして、彼らは死の御使いから救われました。死の御使いはその家に入らないで、その家を過ぎ越したからです。

食べる前に、モーセは人々に説明しました。奴隷状態から救い出して、約束の地に導く為に、神様はモーセを使わされました。燃える柴の中から、出エジプト記3:8で、神様はその約束の地について話しました、「それゆえ、私は降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。《そして、そのようになりました。深夜中になって、主はエジプトの国のすべての初子(uigo)を撃(u)たれたのです。そして、イスラエル人はその夜、エジプトの国から逃れて、紅海を渡って、約束の地に向かって進みました。

私達クリスチャンは、イエス様の死と復活が新しい過ぎ越しの祭りのように考えます。この時、神様は私達を罪と死の奴隷状態から救い出して下さったからです。神様の子羊であるイエス・キリストの血によってです。キリストの血は十字架上で流されて、そして、信仰によって、私達はそれを自分の心の門の上に塗ります。バブテスマによって、私達も紅海を渡ったようで、私達の罪が洗い流されます。イエス様は天国を「乳と蜜の流れる土地《として話しませんでした。今日の福音書で、天国が「父の家」と呼びました。「私の父の家には住む所がたくさんある《と言われました。古い英語の翻訳は「私の父の家にはマンションが沢山ある」と言います。この「マンション」は日本のアパートの狭い部屋の意味ではなくて、立派な屋敷の言葉です。即ち、イエス様が私達の為に用意して下さる住まいは、学生寮や、イスラエル人の40年間の難民キャンプのテントのようではなくて、パラダイスにふさわしい広くて良い所です。

荒れ野の長い旅の後に何があるかとモーセがイスラエル人に教えて下さったと同じように、イエス様は弟子達に、この地上の旅の後に、私達の為に何があるかを教えて下さいました。そして、過ぎ越しの祭りの前に、御自分を私達の犠牲の子羊としてささげる事を教えました。「14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる《と。

しかし、弟子達はイエス様の話がよく分かりませんでした。トマスは私達も聞きたい質問をして言いました、「14:5主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。《と。それで、イエス様は説明しました、「14:6 わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない《と。御自分の死と復活によって、イエス様は私達の新しい過ぎ越しの子羊になって、新しい出エジプトのように、私達を自由にして下さいました。ですから、今、私達は約束の地への道にいます。この道とは、イエス様です。「私は道である」とイエス様は言われました。天国への誠の道、真理の道であるイエス様に従って行く時、私達はイエス様と父なる神様についての真理が分かります。そして、イエス様によって、私達には命があると分かります。先週の福音書で、イエス様は言われました、(ヨハネ10:10)「私が来たのは、羊が命を受ける為、しかも豊かに受ける為である《と。勿論、私達クリスチャンが父なる神様の家である天国を楽しみにしていますが、もう既に私達は救い主であるキリストと共に生きています。キリストによって人生を生きる事は、誠の命で、豊かな命です。それは、祈りとキリストの奉仕に満ちている人生です。

イエス様は言われました、「14:6私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。《と。先週の福音書で、私達の良い羊飼いであるイエス様はこのようにいわれました、「ヨハン10:9 私は門である。私を通って入る者は救われる。《と。ですから、イエス様が「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない《と言われますと、御自分の以外に天国への道がないと意味します。又、使徒言行録4:12でペトロは言いました、「ほかのだれによっても、救いは得られません。私達が救われるべき吊は、天下にこの吊のほか、人間には与えられていないのです《と。イエス様は「私は道であり、真理であり、命である《と言われますと、御自分がただ一つの命への道であると言われます。イエス様が「ただ一つの命への道である」と分かりますと、2つの結果があります。一つ目は、救われた私達が、本当に救われている確信を持つ事が出来ます。イエス様を信じ、自分の救い主と良い羊飼いとしてその道に従って行きますので、迷わないで、私達を愛して下さるイエス様から離れる事がありません。これは、キリストの弟子達の確信がある安心です。イエス様が「ただ一つの命への道である」と分かれば、2つ目の結果とは、他の人も天国に行くことが出来る伝道をしたいと思う事です。聖書の中には、イエス・キリスト以外に天国に行く方法は掲示されていません。個人的な思いでそうではないと希望するかも知れませんが、他の方法、他の道がありません。ですから、「み国を来たらせたまえ《と祈る時、自分の救い主として まだキリストを知らない人の心の中に、王なるキリストの支配が来るように祈ります。

イエス様が私達の為に用意して下さる場所はどんな部屋でしょうか。窓からの景色はどうでしょうか。立派なマンションの屋敷に住むようでしょう!

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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