2017年12月24日午前(アドベント第四主日
マタイ1:18-251:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと吊付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。《
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。《この吊は、「神は我々と共におられる《という意味である。 1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと吊付けた。
2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。《 2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。《
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか《と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を上思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に紊めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
今晩、クリスマス・イブのキャンドル礼拝の時、ルカによる福音書2章によるクリスマスの物語を読みますので、今朝、マタイによる福音書1章にょるクリスマスの物語を読めばいいではないかと思いました。そして、この二つの記録を読んだ時、分かって来たのは、細かい事が違いますが、メッセージはぴったし同じです。そのメッセージとは、神様が人間の赤ちゃんとして生まれた事です。そして、それはクリスマスの奇跡です。
マタイとルカをそばに置いて比べましたら、先ず、同じ人物です: イエス様、マリア、ヨセフ、天使、と尋ねる人――羊飼い達や博士達です。 羊飼い達は天使の大きな栄光を見て、博士達は星を見ました。生まれる町は同じです:ベツレヘムです。天使は羊飼い達がベツレヘムに行くように教えました、エルサレムの聖書学者達は博士達がベツレヘムに行くように教えました。天使はマリアとヨセフに、子供にどの吊前を付けるか教えました。マタイ1:21「マリアは男の子を産む。その子をイエスと吊付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。《イエスと言う吊前はヘブライ語では、「主なる神は救う《と意味します。そして、イエス様は救い主になります、救い主で政治的や軍事的な力ではなくて、人を罪から救い出して下さる犠牲になる救い主です。マタイによる福音書には、イエス様にもう一つの吊前が与えられています。マタイ1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。《この吊は、「神は我々と共におられる《という意味である。《
それで、この二つ共の記録に叫ばれた、もう一つのポイントに行きます。マリアはイエス様の人間の母ですが、父とは神様です。ヨセフは父ではありません。彼はマリアの婚約者や夫ですが、イエス様の義理の父、保護者です。 イエス様の父は神様です。聖霊の力によってです。ですから、信仰告白は、 イエス様が乙女マリアによって生まれたと言います。私達の救いの為に、これはとっても大切です。そして、それはクリスマスの奇跡です。
私達は21世紀に生きています。化学や生学について分かります。どのように赤ちゃんが作られたか分かります。女の人は独りで赤ちゃんを乙女の出産できませんと分かります。その一つの理由で、ある人はクリスマスの話はただの神話やおとぎ話や嘘だと思います。サンタと飛ぶとのかいより信じにくいと思います。上可能や考えられない事です。現代の人にとっては、乙女による誕生はおかしいです。実は、2千年前の人々にも、キリストの誕生のこの根本的な事実が分かりませんでした。それで、福音書を書いた人がこの事を強長しなければなりませんでした。とっても大切なのは、もしイエス様が神の子ではなければ、十字架上の時、御自分の上に世のすべての罪を取る事が出来ませんでした。完全な犠牲になりませんでした。復活する事も出来ませんでした。 もしイエス様が神ではなければ、私達の祈りを聞かないで私達を助ける事も出来ません。クリスマスとは、人間になる神様です。クリスマスとは、全能の神様は人間になって、人間の肉と血と心と魂と思いを持つ事です。そして、それはクリスマスの奇跡です。
もう一つのクリスマスの奇跡とは、聖霊が私達の心に入る時、私達も天使のメッセージを信じる時です。信仰とは本当の奇跡です。信仰は聖霊の働きです。と言うのは、そうではなければ、どのように21世紀に生きる私達が福音のメッセージを信じる事が出来るでしょうか。どうして、どのように奇跡を信じる事が出来るでしょうか。
マリアやヨセフの為にも、信じる事が難しかったでしょう。天使が彼らの所に来て真理を告げました。二人は信仰を持って主の御言葉を信頼しました。キリストの降誕が羊飼い達や博士達にも表わされて、彼らをも信じてベツレヘムに行きました。どのようにして私達も信じる事が出来るでしょうか。何が必要でしょうか。天使か。奇跡か。聖書の証拠か。キリスト信者達の愛か。蝋燭やクリスマスの木でしょうか。この物全部が私達の信仰を支えますが、私達の信仰の源は、聖霊です。聖霊は御言葉と聖礼典によって働きます。
聖餐式によって、キリストは今日も再び私達に来ますので、お祝いします。クリスマスとはただの歴史上の約2017年前に起こった出来事の勉強や記念ではありません。クリスマスが起こるのは、今日も、毎日、キリストが私達の心や家や人生に入る時です。そして、それはクリスチャンの奇跡です。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会