受難説第2主日、2011年3月20日
ヨハネ3:1-17
救いの為に必要な信仰の最低限はどのぐらいでしょうか。聖書全体を知って、聖書を全部理解して、又神学も完全に理解しなければないでしょうか。聖書は大きい本であり、聖書についての本も多いし、キリスト教の宗派が多いし、人によって解釈が違います。救いは私達の頭の中で思うことによってでしょうか。それとも心で感じる事によってでしょうか。赤ちゃんはどうでしょうか、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)はどうでしょうか、認知症の人 はどうでしょうか。教会に行かない人は、クリスマスしか知らない人はどうでしょうか。救いは私達の行いによるのでしょうか。誰が救われるでしょうか。それがニコデモという人の質問でした。
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモはそれが分かりませんでした。彼は人が再び赤ちゃんとして生まれる事を考えました。しかしイエス様は霊的な生まれ、即ち、聖霊によって生まれる事を意味しました。しかしニコデモはこれも分かりませんでした。彼は「どうして、そんなことがありえましょうか」と言ったのです。
新約聖書はギリシャ語で書かれたものです。そして、皆さんが分かるように、英語を日本語に翻訳しますと、完全な意味を伝えられないときがあります。冗談や言葉の遊びの意味を翻訳する事が出来ない事が多いのです。ときには本当の意味が翻訳の中に埋もれてしまいます。今日の福音書の個所での2つの言葉は、ギリシャ語では、同じ発音をしますが意味が違う言葉があります。日本語でしたら発音が同じでも、漢字が違うので問題がありませんが、ギリシャ語や英語のような言葉はアルファベット しかありません。ヨハネの福音書3章では、最初の言葉ですが、「新たに」と翻訳された言葉は、同時に「上から」と翻訳する事が出来ます。ですから、「新たに生まれる」と言う言葉を「上から生まれる」とも読む事が出来ます。ギリシャ語では“anothen アノテン” です。実は、両方とも正しいです、何故ならば上の天国から、神様は私達に再び誕生を与えなければなりません。それは聖霊の働きです。そして、イエス様は聖霊の働きが風のようであると言われます。ギリシャ語では、“ペヌマpneuma ぺニュウマ ” と言う言葉を「風」又は「霊」と翻訳する事が出来ます。人は風を見る事が出来ませんし、聖霊をも見る事が出来ません。しかし、風を聞いたり、感じたりする事が出来るように、聖霊の働きを見たり感じたりする事が出来ます。ペンテコステの日にこの事を詳しく話しましょう、ペンテコステの日に、聖霊は大きな風の音のように弟子達の上に下りました。
では、3節と5節で、イエス様はこのように言われました。 3:3「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」3:5「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」その意味とは、聖霊はバプテスマによって私達に新しい命を与える事です。
ニコデモはまだ分かりませんでした。ニコデモは旧約聖書のモーセの話を知りましたので、イエス様はこのように言われました。3:14 「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」モーセの時代、荒れ野にいる時、多くの人々が毒の蛇に噛まれたのです。モーセは高い棒の上に、青銅で出来た蛇を立てました。そして、それはキャンプの中央にあった神様の幕屋のそばでした。それで、その蛇を見る人は、主なる神様がその蛇を征服して、蛇に噛まれた人を癒す事が出来ると分かります。神様は彼らに命を与えました。しかし、イエス様は十字架の棒の上にあげられました。イエス様に目を上げる人が分かるのは、主なる神様が悪魔である蛇を征服して永遠の命を与える事が出来る事です。
その点では、もしニコデモがこれを分かりましたら、多分ショックを受けるでしょう。イエス様が御自分が上げられる、即ち十字架上で死ぬと言われたので、それを聞いてショックでしょう。その時ニコデモは「なぜ」と聞くでしょう。「何故十字架上で死ななければならないか。どのようにそれが救いを与えるか。どうやってあなたの死が永遠の命を与えられるか。どうしてそれによって上からの新たな生まれをするでしょうか。」そして、イエス様はその理由を教えました。それは、ヨハネ3:16-17の言葉です。
• 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
言い換えますと、イエス様が十字架上で死ぬ理由とは、神様がこの世を愛されたからです。この世を裁きから救い出す為でした。永遠の命を与える為でした。そして、この救いはイエス様を信じるすべての人々の為です。
それで、福音の最低限とは、イエス様を自分の救い主として信じる事です。私達の救いの為に、神様はすべての働きをします。私達の母は、二回目の誕生を与える事が出来ません。物質的に再び生まれることが不可能です。しかし聖霊は上からの新しい生まれを与えます。イエス様は十字架上で死にましたが、再び生まれませんでした。甦らせたのです。そして、その復活は私達に永遠の命を与えます。
救いの為に、必要な信仰の一番小さい量はいくらでしょうか。それは、イエス様を自分の救い主として信じる事です。小さい子供の場合には、自分がイエス様の羊であり、イエス様は自分の羊飼いであると信じる事です。
救いの為の働きは、全部イエス・キリストがされました。彼の死と復活は私達に上からの生まれを与えます。聖霊によって与えます。私達は何をしますか。何もしません。何を勉強したらいいでしょうか、どの知識が必要でしょうか。イエス様が私達の罪を赦す為に死んだ事だけです。
それは神様の愛です。私達は神様の愛を見る時、私達は神様を愛します。それで、神様についてもっと分かりたいと思います。それで聖書を読みたいと思います。信仰の生活の上で成長したいと思います。神様を喜ばす、正しく生きたいと思います。正しい事を考えて、正しく理解したいと思います。神様の愛を見たいと思います。
聖書は大きい本です。聖書についての本が多いです。ニコデモの後2000年の間、人々は聖書を理解しようと思います。私達が正しく福音を教えて、聖礼典を正しく行っていると確信しています。しかし、人々が神様と神様の御言葉を愛しますので、たまに大きな論じ合いや戦いがあります。キリスト教会の宗派が1000以上あるそうです。誰が正しいでしょうか。誰が救われるでしょうか。誰が神の国を見るでしょうか。聖霊は私達の心が分かります。聖霊はイエス様を自分の救い主として、信じる人に新たな生まれを与えます。このようにして私達は神様の愛を見ます。ですから、ヨハネ3:16がキリスト信者達に愛されています。歌や讃美歌のようです。それを信じる事は喜びです。何回もそれを言う事も聞く事も喜びです。
•3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会