イエス様を知る事、イエス様に知られている事

2009年1月18日

ヨハネ1:43-51
1:43 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。1:44 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。1:45 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」1:46 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

1:47 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」1:48 ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。1:49 ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」1:50 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」1:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

フィリポはイエス様に呼ばれました。イエス様は「わたしに従いなさい」と言われて、フィリポはすぐイエス様の弟子になりました。そして、フィリポは友達のナタナエルを見つけて、彼も弟子になるように誘いました。しかし、イエス様がナザレから来た人であると聞くと言いました、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と。ナタナエルとフィリポの古里はベトサイダ であったので、ナザレの町とのライバル意識からくる 競争があったかも知れません。 又、ナザレは、ただの面白くない田舎だったでしょうか。又は神学的な賢い観察でしょうか。ファリサイ派の人々がイエス様を否定する理由の一つは、イエス様がユダの地方からではなくガリラヤの出身だからです。彼らはイエス様がベツレヘムで生まれた事を知りませんでした。とにかく、ナタナエルはすばやくイエス様の事を判断しました。イエス様をよく知らないうちにイエス様を判断しました。このようにイエス様を裁きますと、イエス様を信じようと思わないで、イエス様を受け入れようと思いませんでした。イエス様の古里によってイエス様を裁きました。無知な裁きでした。

多くの人々はこのようにしてイエス様を裁きます。イスラエルと言う小さな国から来た者だ。その国はいつも隣の国と戦う。イエス様が僕や僕の状態を全然知らない。イエス様は僕に興味がないので、僕もイエス様に対して興味がない。しかし、このような決断があれば、私達は私達の救い主に近ずく事が出来ません。救いに近ずく事が出来ません。

この罪深い世はこのようなものです。この世は自分の創り主を知りません。ヨハネの福音書第一章はこのように言います。イエス様について「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14)。「世は言によって成ったが、世は言を認めなかった」(10)自分の創り主を知りませんでした。イエス様はイスラエルで生まれたのですが、「自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(11)。ですから、ナタナエルを厳しく非難する事が出来ないでしょう。この罪深い世の中では、ナタナエルと同じように、私達もイエス様が本当にどなたでるかを知って信じる事が出来ないでしょう。

幸いにもナタナエルには良い友達がありました。フィリポは、「来て、見なさい」と言ったのです。ナタナエルはイエス様を知らなかったのですが、イエス様はナタナエルを知りました。言われました、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」と。イエス様はナタナエルを知っていたので、ナタナエルを受け入れる事が出来ました。言われました、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と。これは、ただ場所が分かる事だけではないでしょう。その木の下でナタナエルが何をしていたかが分かっていたからでしょう。彼に偽りがなく正直な人であるからでしょう。イエス様について話した言葉が心からでた言葉であったからでしょう。自分の疑いを正直に言ったからです。このような人ならば、すぐだまされる事がないでしょう。しかしイエス様が自分を知っていると分かった時、その時彼はイエス様を知りました。言いました、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」彼はイエス様が救い主、メシアであるとはっきり分かりました。しかし、イエス様は彼がそれより優れている、一番素晴らしい証拠を見ると教えました。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」最初にイエス様の栄光を見る時とは、3日目にイエス様が甦る時です。その時、ナタナエルとフィリポは本当にイエス様がどなたであるか、どこから来たかを知ります。その信仰を告白します、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

今日、私達はこの福音書を聞くと、2つの事をするように勧められています。まずフィリポのように、他の人がイエス様の所に来るように、イエス様を見に来るように誘う事です。私達の友達が疑い深い人かもしれません。イエス様の事を全然知らなくても、イエス様を裁いて否定するかも知れません。ですから私達がフィリポと同じように言います「来て、見なさい」と。そして、私達はナタナエルのようになる必要があります。私達が偽りのない人で、騙されない人です。本物ではないものを選びません。ただの田舎者を選びません。イエス様が私達の事を知る事を認めなければなりません。イエス様は私達が罪人であると知ります。私達は弱いです。私達は頑固です。愛を持ってイエス様が私達を受け入れます。私達はこの事を理解する事が必要です。私達の罪を赦す為に死んで、永遠の命を与える為に復活した事を理解する事が必要です。イエス様には偽りがありません。彼こそは真理です。そして、私達は自分の信仰をナタナエルと共に言い表します、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


説教のリスト