2017年3月12日、受難説第2主日
ヨハネ 3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。《
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。《
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。《
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。《
3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか《と言った。
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ニコデモという人がイエス様の所に来まして二人が話しました。ニコデモとは誰でしょうか。聖書に3回出て来ます:イエス様の所に訪ねたヨハネ3章、イエス様について良い事を言ったヨハネ7章、そして、アリマタヤ出身のヨセフと供にイエスの遺体を葬るヨハネ19章です。
ニコデモとは誰でしょうか。ファリサイ派に属するユダヤ人たちの議員でした。イエス様は彼を「イスラエルの教師《と呼びますので、「ラビ《だったでしょう。彼は聖書をよく分かりましたので、イエス様が神様から来られたと分かりました。ほかのファリサイ派に属する人々はイエス様の権威を拒否したので、誰にも自分を見られない夜に、イエス様の所に行きました。
その会話の話題とは、「神の国《でした。神の国に「入る《事とは、「永遠の命《や「救い《と同じです。イエス様は言われました、「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。《直訳は、「誰でも水と霊とによって再び生まれなければ,神の国を見る事が出来ません。《この文書には、この箇所の最初の言葉の遊びがあります。聖書のギリシャ語の「アノセン《と言う言葉には二つの意味があります:「再び《又は「上から《です。ニコデモはその最初の意味を取りまして聞きました、「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。《しかし、イエス様は霊的な生まれを話します。「水と霊とによって生まれなければ《と言われました。聖霊は上にある天国から来ます。
二つ目の言葉の遊びは、ギリシャ語の「プヌマ《と言う言葉です。ギリシャ語もヘブライ語の「ルアク《と言う言葉にも3つの意味があります、即ち、「霊、風、と息《です。それでイエス様は言われました、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。《再び上から聖霊によって新しく生まれる事とは、イエス様を信じる人には、神の国の中に永遠の命があると意味します。イエス様との会話の結論は、ヨハネ3:14*17です。
「3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《
ニコデモとは誰でしょうか。私達はたまに現代的なニドデモになります。ニコデモがイエス様の所に行くのは夜でした。私とほかの説教者がたまに金曜日や土曜日の夜晩く来まして、説教の準備の為に祈ります。ニコデモと同じようにききます、 「どうして、そんなことがありえましょうか《と。即ち、どのように福音のメッセージを話して、私の教会の人がそれを理解して信じるでしょうか。イエス様は言われました、「私が地上のことを話しても信じないとすれば、天上の事を話したところで、どうして信じるだろう《と。ですから、天上の事を理解させる方法とは、まず、地上の事を話す事でしょう。罪について話します。荒れ野でモーセは棒に青銅の蛇を上げました。ある時、人々は主なる神様に対する罪を犯しました。それで罰として神様は毒の蛇を送りました。信仰を持ってその上げられた青銅の蛇を見る人は癒されました。私達は罪を犯します。しかし、十字架上のイエス様を見上げましたら、私達も赦されて救われます。イエス様の死はとっても地上的な事で、天上の事を理解する方法です。
ニコデモとは誰でしょうか。それは、人生や救いに対する質問の答えを探す人です。誰も自分を見ることが出来ないように、ニコデモは夜、イエス様のところに行きました。自分がイエス様と話したことが誰にも知られない為でした。日本では、教会やキリスト信者に対する非難や迫害があります。それで、ある人は、自分の近所の教会に行かないで、誰も自分を知らない所・住む町の反対側にある教会に行きます。又は、教会の英会話教室に行きます。そこで安全にキリスト教を調べる事が出来ます。
ニコデモとは誰でしょうか。ニコデモのように信仰に入った人です。イエス様は言われました、「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入る事は出来ない。《聖霊は私達の心の中に信仰を造ります、そして再び生まれる洗礼の水によって私達はその信仰を証します。しかし、洗礼は信仰告白だけではありません。洗礼が礼典と言われているのは、洗礼を受ける時、私達の人生の中で神様が働くからです。私達の信仰を作って、守って、強くします。生まれたら、生きています。そして、毎年の誕生日でお祝いします。洗礼によって霊的に新しく生まれましたら、私達は生きているので、毎日自分の救いを祝う事が出来ます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会