2020年5月17日、復活節第6主日
福音書 ヨハネ 14:15~21(新197)
最後の晩餐の時、イエス様は弟子達に言われました、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。《この言葉によって、イエス様は弟子達に、心配してはいけないと言われます。親が死ぬ時に残された者よように、悲しくて、貧しくて、希望がない者のようにイエス様は弟子達を見捨てません。何故ならば、先ず、イエス様は彼らに戻って来るからです。3日目の復活の時にも、世の終わりの日にも戻って来るからです。大きい会社で働くお父さんのようです。会社はお父さんを国の遠い田舎か遠い町に送ります。2年間独りで、家族なしに働かなければなりません。子供たちに言います、「戻って来ますよ。夏やお正月に帰ります。電話やフェスブックでコンタクトします。お母さんはあなた方を手伝いするからです。《又、地球の反対側に2年間行くように命令された兵士のようです。心配する子供達に言います、「無事に戻って来ますよ。フェスプックでコンタクトします。お母さんがあなたを守りますよ。《イエス様は言われます、「戻って来ますよ。聖書によってコンタクトします。聖霊はあなたを助けます。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。《
「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。《それは、イエス様は私達を見捨てないと意味します。私達を独りにしません。私達は自分だけの力によって生きる事がありません。私達は無力ではありません。「インマヌエル《の約束です、それは、「神は我々と共におられる《という意味です。
それなのに、私達が見捨てられたと感じる時がありませんか。人生の問題がある時、神様はどこにいるかと考えた事がありますか。個人的な悲劇や天災や世界的なヴィラスの伝染病がある時、神様が私達を無視していると思う人がいます。神様はご自分の創造を捨てたみたいです。私達には、家でも仕事ででも、毎日のいらいらがあります。その時、“Oh, my God、オ・マイ・ガード”と言います。即ち、「主よ、あなたの助けが必要です。主よ、どこにいますか。《イエス様の十字架上の言葉が本当によく分かります。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。《これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか《という意味です。神様によって見捨てられましたら、苦しんで生き、苦しんで死ぬ事です。
しかし、神様が私達を見捨てたでしょうか、それとも、私達が神様を見捨てたでしょうか。私達は神様の事をあきらめたでしょうか。自分の罪深い道を選んだでしょうか。この世界のプレシャーに負けたでしょうか。世界の悲劇を神のせいだとしますか。もし神様は全能の神でしたら、もし神様は愛でしたら、どうして痛みや死があるでしょうか。神様が、今の病気や世界破壊や絶望を起こしたと考えます。その時、“Oh, my God、オ・マイ・ガード”は呪いのようです。もし神様は私を捨てたら、私は神様を憎みます。彼を信頼する事が出来ません。自分で自分の人生を送った方が良いです。
もし私達が神様を捨てたら、信仰を捨てたら、神様が永遠に私達を捨てるでしょうか。地獄に私達を見捨てるでしょうか。希望が少しでもあるでしょうか。
私達の大きな希望とは、使途信条の言葉です。「十字架につけられ、死んで葬られ、よみに下り、三日目に死人の中から復活した。《イエス様は黄泉の中に、即ち、地獄で苦しみませんでした。それよりも、死の勝利者として地獄に侵入しました。私達を救い出す為に行きました。私達の罪からも、私達の恐れからも、私達の失望からも自由を下さいました。「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたの所に戻って来る《と言う約束を守りました。今も続けてその約束を守ります。
イエス様は私達の所に来られて、私達が彼のそばにいるように私達をまねきます。もうみなしごではなくて、神様の愛された子供達です。個人的な悲劇や天災や世界的なヴィラスの伝染病がある時、イエス様が私達と共にいると信頼します。イエス様は復活したので私達はイエス様を信頼します。ですから希望と勇気があります。勿論、誘惑が来ます。神様の愛と御心を疑う試みが来ます。いらいらする時、困っている時、“Oh, my God、オ・マイ・ガード”と叫ぶでしょう。しかし、それは祈りになります、“Oh, my God、amen. オ・マイ・ガード、アーメン。” 私達は多くの時代の人々と同じように、詩篇42編に素晴らしい慰めと希望を見つけます。この詩篇を書いた人の経験私達の経験に似ていると思います。その詩篇を読みたいと思います。
詩編42編
涸(か)れた谷に鹿が水を求めるように/
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/
神の御顔を仰ぐことができるのか。
昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶(た)え間(ま)なく言う/
「お前の神はどこにいる《と。
わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす/
喜び歌い感謝をささげる声の中を/祭りに集(つど)う人の群れと
共に進み/神の家に入り、ひれ伏したことを。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻(うめ)くのか。
神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/
「御顔こそ、わたしの救い《と。
わたしの神よ。わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。
ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から
あなたの注ぐ激流(げきりゅう)のとどろきにこたえて/深淵は深淵に呼ばわり/
砕(くだ)け散(ち)るあなたの波はわたしを越(こ)えて行く。
昼、主は命じて慈しみをわたしに送り/
夜、主の歌がわたしと共にある/わたしの命の神への祈りが。
わたしの岩、わたしの神に言おう。
「なぜ、わたしをお忘れになったのか。
なぜ、わたしは敵に虐(しいた)げられ/嘆(なげ)きつつ歩くのか。《
わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き/絶え間なく嘲(あざけ)って言う/
「お前の神はどこにいる《と。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。
神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/
「御顔こそ、わたしの救い《と。わたしの神よ。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会