見よ

受難主日、2020年4月5日

ヨハネ18章&19章

イエス様が十字架につけられた時、ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けました。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王《19:19と書いてありまた。その言葉は正しかったです。クリスマスの話は、イエス様がダビデ王の家系にいましたので、ユダヤ人の王になる資格があったと教えます。正式に冠を受けなくても、イエス様はユダヤ人の王でした。

ピラトはその言葉を書いてもらったのですが、その言葉を信じませんでした。イエス様は、どんな王でもないと思いました。宗教の狂っている者かもしれませんが、王ではありません。その言葉を書いていたのは、ユダヤ人を怒らせる為でした、自分にかけられた面倒を返す為でしょう。ユダヤ人をぶじょくしました。

ユダヤ人のイエス様に対する告発とは、神様を冒涜した事です。イエス様がキリスト、即ちメシア即ち、即ち救い主、即ち神の子である事を信じませんでした。イエス様が御自分を神様と同じようにした事が悪いと思いました。イエス様を信じませんでしたので、死刑に当たる冒涜の罪に告発しました。

人を死刑にする権限がなかったので、ユダヤ人はローマの政府の総督の所にイエス様を連れて行きました。しかし、ピラトが民事のケースを裁く事が出来ますが、宗教的なものを裁かないので、ユダヤ人達は新しい罪を告発する事が必要でした。ピラトはユダヤ教の「メシア《の意味が分からないので、「王《と言う言葉を使いました。それで、イエス様がローマの法律を破る、皇帝カイザルの裏切り者、反逆者です。

ピラトはイエス様が無罪と思いましたが、遊びたいと思いました。ですから、兵士達は茨の冠を彼の頭に載せ、偉い人の紫の朊をまとわせ、「ユダヤ人の王、万歳《19:2-3と言いました。そのまま、イエス様をユダヤ人の前に立たせて、「見よ、この男だ《19:5、「見よ、あなたたちの王だ《19:14と言いました。ユダヤ人達は「私達には、皇帝のほかに王はありません《19:15と言った時、彼らは神様が自分達の王であるのを否定して、このようにして自分達こそが神を冒涜しました。

十字架に書かれた別の言葉でしたら、どの言葉が良いでしょうか。「ナザレのイエス、世界の王《や「ナザレのイエス、世の救い主《はどうでしょうか。又、一番良いのは、バプテスマのヨハネの言葉でしょうか。洗礼を受ける為にイエス様が来られた時、言いました、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ《1:29。十字架上で、イエス様は完璧な過ぎ越しの羊になりました。それは、ヨハネ19章39節の言葉の意味です、「その骨は一つも砕かれない《。出エジプト記12:46 と民数記9:12では、この言葉は過ぎ越しの祭りの食事の羊の事です。

こうしてイエス様はこの言葉を成就しました。私達を世の罪から救い出しました。その恐れとにくしみと欲張り、その上正義と残酷と苦しみ、その侮辱と上信仰と迫害のすべてが、イエス様の上にありました。エジプトでの過ぎ越しの羊が、イスラエルの民が安全にエジプトから出られるように救い出しました。同じように、イエス様は、私達を永遠の死と地獄の奴隷状態から安全になって生きるように、死んで下さいました。死ぬ時、イエス様は言われました「成し遂げられた《19:30と。救いのが働きが終わりました。犠牲は完了しました。私達の罪が赦されました。

イエス様はお墓に紊osaめられました。三日目に甦りました。今、聖霊から下さった洗礼の信仰によって、私達は十字架上にかけられた人の本当のアイデンテティを知ります。バプテスマのヨハネと共に、信仰告白して言います、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ《と。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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