2017年10月1日
ローマ3:23*24
10月は「ルーテル宗教改革の月《です。今年は宗教改革500周年にあたります。1517年10月31日にマルティン・ルターは、ドイツのウィッテンベルグ町の城教会のドアに、彼の有吊な95か条を貼りました。それは宗教改革の始まりでした。その後、多くの論争、喧嘩、政府の宣言、信仰告白などによって、聖霊はクリスチャン達がイエス・キリストの素晴らしい福音を理解するように導いて下さいました。今年の10月の説教シリーズとして、毎週、宗教改革時代の大切なテーマを一つづつ見たいと思います。今日のテーマは「恵みのみ《です。毎週の説教のアウトラインは同じです:A.言葉の定義、B.どうして宗教改革時代が大切か、そしてC.どうして今日も私達に大切かと。
A. 先ず、「恵み《と言う言葉の定義です。ラテン語では“gratia”で、ギリシャ語では“charis” で、ヘブライ語では“chen”です。聖書の中には、この言葉の意味とは、「好意kōi《です。神様が何かを好konoみます、誰かが好suきです。礼拝の最後の祝福のようです、「主があなたを祝福し、あなたを守られるように、主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように、主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。《創世記6:8によりますと、神様が堕落した罪人ばかりの世界を完全に破壊されなかった理由とは、神様はノアが好きだからです。「しかし、ノアは主の好意を得た。《しかし、ローマ3:23*24によりますと、私達が罪人でしても、今度 神様はすべての人々にご自分の恵みを下さいました。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。《恵みはギフトのようです。愛です。憐れみです。無償です。賃金ではないで、得る為に働くものではありません。神様からの片道の行動です。ある時、「恵み《と言う言葉を動詞で使います;その意味では、神様は私達に何かを与えます。良い天気、おいしい食事、ご自分の臨在で私達を恵まれます。それで、「グレース《と言う言葉はとっても良い、綺麗な、優雅なものを表します。「グレースフル《な踊り子は、神様からそのタレントを頂きまして、恵まれました。
B. 宗教改革時代には、恵みについて論争がありました。実は、皆が信じて教えたのは、私達が神様の恵みによって救われる事です、ローマカトリックも、ルーテル派も、他のプロテスタント派もです。神様の恵みの反対とは、神様の怒りで、全ての罪人の死です。神様の働きがなければ、人間は永遠に天国で生きる事が出来ません。皆は、私達が神様の恵みによって救われていると知りました。論争になったのは、ルーテル派の人々が、恵み「のみ《と言い始めた時です。「Sola Gratia-恵みのみ《です。これは聖パウロのローマ人への手紙の教えに基づいています。以前 人々に教えられたのは、私達が救われたのは、神様の恵みプラス私達の働きによるである事でした。神様の恵みを得るために、先ず、私達は良い人になる事が必要でした。もし私達が良い人でしたら、神様は私達が好きになって、ご自分の好意、ご自分の恵み、救いを下さいます。しかし、私達は充分良くなる事が出来るでしょうか。いいえ、決して出来ません。充分良いお方とは、イエス・キリストだけです。そして、イエス様は私達に御自分の良さを私達に下さいます。罪の赦しによって私達を恵まれます。それは購いです。神の恵みにより無償で義とされるのです。それを得る為に私達は何も出来ません。ですから、ギフトです。ですから「恵みのみ《です。宗教改革者達はこのことを教えました。
C. 今日の私達にも大切です。何故ならば、a) 教会学校の先生達が間違って私達に言うのは、天国に行きたいと思いましたら、良い子になりなさいと。又b) 私達の社会の全部が「恵みのみ」の考えと全然違うからです。経済的に始め、社会的、政治的、仕事や学校や家族の中にもそうです。人生の成功を得る為に、よく働かなければなりませんと教えられています。恵みとは、やさしく、簡単で、安い方法みたいです。しかし、実は、イエス様の為に安くはありませんでした。私達に恵みを与える為に、十字架上で御自分の命の血で払いました。それで、恵みはとっても大事な,高価なものです。旧約聖書の時代、神殿の祭壇で羊をいけにえとしてささげる事によって赦しを買う事が出来ました。ルターの時代には、教会の教えとは、赦しを買う事が出来る事です。免罪符などで、神様の恵みを買う事が出来ると教えました。しかし、無限の値段のものをどのように買うことが出来るでしょうか。無償のものをどのように買う事が出来るでしょうか。ただの物をもらう時、ギフトや贈り物をもらう時、どう反応しますか。感謝です、心から嬉しいです。「ありがとう《と言います。神様のsola gratia に感謝して、その自由を与える無償のギフトをもらって、自分の人生の中でその感謝を表します。私達は天国に行くので、良い子になろうと思います。愛する人と共に、この世の多くの人々と共に、神様の恵みを分かちあいたいと思います。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会