“イエス様を見上げて”
ヨハネ3:14、民数記21:4*9

2018年3月11日、受難節第4主日B


第1朗読 民数記21: 4~ 9(旧249)
21:4 彼らはホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。しかし、民は途中で耐えきれなくなって、 21:5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。《 21:6 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 21:7 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。《モーセは民のために主に祈った。 21:8 主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。《 21:9 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

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福音書  ヨハネ3:13~21(新167) 3
:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の吊を信じていないからである。3:19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。3:20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。3:21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。《
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今は受難節中です。40日間です。イエス様は40日間、荒れ野の中にいました、悪魔に誘惑され、テストされました。又、イスラエルの民は、40年間荒れ野の中にいました。彼らも悪魔に誘惑され、テストされましたが、多くの時、彼らこそが神様を誘惑して、神様をテストしました。

今日の旧約聖書の日課は、イスラエル人が神様をテストした記録です。奴隷状態のエジプトを出て、もう数ヶ月です。シナイ山を出て、約束の地に向かって旅をしました。荒れ野の中には、水が少ない食べ物がないです。ですから、イスラレル人は、よくモーセや主なる神様に向かって上平を言いました。食物として、神様は毎日、新鮮なマナを下さいましたので、日々の糧の為に主を信頼するように習いました。しかし、マナはもう飽きられました。私はそれが分かります。40年間毎日同じ難民キャンプの食事は、飽きるでしょう。しかし、問題がそれだけではありませんでした。彼らはモーセや主なる神様に対する信頼を失いまして、奴隷としてエジプトに戻ってもいいと思いました。

「21:6 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た《のです。その目的は、神様がすべてをコントロルしていることを教える為でしょう。神様は殺す事も生かす事も出来ます。民を荒れ野の中で飢えて死なす事も、乳と蜜で流れる土地へ導く事も出来ます。人々は神様を信頼しない罪を告白しました。赦しと救いをお願いしました。「21:7 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。《モーセは民のために主に祈った。《神様は愛する民を憐れみました。モーセに教えました、「あなたは炎の蛇を造り、旗竿(はたざお)の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る《と。人々はその青銅の蛇を見る時、神様が彼らが生きる事を望んだと分かりました。その蛇を見上げる事は、神様の愛と力を信じる事です。その蛇を見上げる事は、癒しと救いの為に神様に祈る事です。このようにして、イスラエル人は、毎日の生活の為に、完全に神様を信頼するように習いました。

小説や聖書を読む時、私は自分をその話の中に入ります。人物の一人になります:そのヒロやその物語の場所に立つ人です。今日の旧約聖書の日課を読んで、私はイスラエル人の一人になりました。私も荒れ野の中で毎日同じマナを食べて、もう飽きたのです。例えば、私はりんごが好きです、毎日の朝ごはんとして1コ食べてもいいですが、毎日朝昼晩のすべての食事の時、リンゴだけを食べたくありません。確かに、私も神様やモーセに対する文句を言った人の一人になったでしょう。「21:5 なぜ、我[々]をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末(そまつ)な食物では、気力(きりょく)もう(失)せてしまいます。《あなたは自分がマナで満足すると言わないで下さい。あなたもどうして神様が私達を荒れ野の中で、さ迷うように導いているか思うでしょう。いつ私達は乳と蜜で流れる約束の地に着くでしょうか。私達はその時代のイスラエル人と同じように上平を言うでしょう。何故ならば、現在も私達はいつも神様に対して上平を言うからです。人生の問題と上安で、私達の神様への信仰がテストされているでしょう。神様が私達をテストするでしょうか。私達が神様をテストするでしょうか。その毒の炎の蛇が私達をかむ時、それが神様からの罰であると分かるでしょうか。痛みや病気や負債や争いや天災や失敗や他の災いが私達の上に下る時、それが御自分の所に、私達を導く神様のみ手であると見えますか。祝福の為に神様に感謝しますが、問題の為に神様のせいだと思いますか。主の祈りの時です:「私達の罪を赦して下さい、試みに会わせないで下さい、悪より救い出してください。《そして祈りながら、十字架上に上げられたイエス様を見上げましょう。私達を癒して、私達を救うイエス様を見ましょう。

この旧約聖書の物語を読んで、もう一つの人物になった事もあります。それはモーセだけではなくて、私はその炎の蛇の一匹になりました。地獄の火を説教する牧師のようでしょうか。イスラエル人の罪は批判しやすいです、神様に対する上信頼の為に罰した方がいいと思うかしれません。何故ならば、私達はいつも他の人、すべての人を非難するからです。罪の為に他の人を罰したいと思う時があるでしょう。蛇のように:彼らをかんだり、毒を与えたり、ウソをついたり、おどかしたりします。本当に、私達が蛇のようになる時があります。しかし、私達が神様によって送られたでしょうか、それとも、その古き蛇であるサタンによって送られたでしょうか。サタンならかむと殺すだけです。もしあなたは、自分の仕事とは、炎の蛇として人を噛む事であると思いましたら、責任をもって、旗竿の上にある青銅の蛇にもなりなさい。神様の愛と憐れみをも見せなければなりません。

十字架上に上げられたイエス・キリストの癒す赦しをも見せなければなりません。十字架に上げられた理由とは、「3:15 信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである《のです。又、ルーテル教会がいつも言うように、悔い改めた罪人に、必ず律法と福音を述べ伝える事です。噛んだら、解毒剤も与える事;裁いたら、救う事;テストしたら、確信を与える事;恐れがあれば、平和を与える事です。

その愛と憐れみはヨハネによる福音書3章17節です。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《

どうでしょうか、もし私はその毒の炎の蛇にかまれたイスラエル人の一人でしたら、私は何をするでしょうか。その青銅の蛇を見上げて、赦しと癒しの為に祈るでしょうか。それとも、自分のテントの中に入って、そのすべての問題を送った神様を憎んで  呪うでしょうか。又、蛇はただの自然の物なので、神様が関係ないと思って、その青銅の蛇はただの偶像や無力の迷信のお守りのように考えるでしょうか。信仰があるか、信仰がないでしょうか。

これこそは現代の人々の質問です。十字架上のイエス様を見上げて、赦しと癒しと救いの為に祈るでしょうか。私達が死んでも神様には感心がないと思うでしょうか。十字架上のイエス様の死には、私達を癒す力がないと思いますか。十字架や十字架のネックレスはただの迷信のお守りでしょうか。

荒れ野の中で40年間の後に、イスラエル人がヨルダン川を渡って約束の地に入る時、神様が彼らと共にいると言う確信がありました。受難節の40日間の後に、イースターの空っぽのお墓に来る時、神様が私達と共にいると言う確信がありました。そして、ヨハネ3章16と17節が私達の信仰告白になります。 「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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