預言や聖書と教会の歴史のレッソン

2016年3月13日


ルカによる福音書20:9~20
20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。20:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
20:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。
さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
20:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

今日の福音書の日課は預言や聖書と教会の歴史のレッソンです。イエス様はどのように歴史が再び起こるかをかたります。ご自分の為にも教会の為にもです。

★ エデンの園
★ 約束の地
★ イエス様
★ 教会の歴史
★ 現代の私達の為の警告

聖書の最初の所から始まります。ぶどう園ではなくて、エデンの園でした。アダムは園丁やそれを管理する農夫でした。ふどう園の主人である神様は、長い旅に出かけていたようです。しかし神様が園に戻った時アダムとエバは、自分たちの為にそこにあった善悪を知る木の収穫を取ってしまったのです。今日の例え話の言葉で言い換えますと、彼らは「相続財産」が欲しがった、エデンの園や全世界を自分の物、自分が支配する物にしようと思ったようです。それで、神様は彼らをエデンの園から追い出しました。

次にアブラハムと彼の子孫の為に、新しい「ぶどう園」を与えました。それはカナンである約束の地です。「乳と蜜を流れる地」でした。神様が求めた収穫は食べ物ではなくて、正義と愛と平和の収穫でした。この話が旧約聖書の中で何回も繰り返されています。ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、歴代誌、エレミヤ書とほかの預言書です。愛と正義の代わりに、イスラエルの国であるぶどう園の実とは、憎しみ、人殺し、欲張り、遇像礼拝でした。神様は御自分の僕である預言者を送りました。彼らは民に告げたのは、悔い改めて主なる神様を礼拝する事です。しかし、多くの場合には、人々は、この預言者を無視したり、侮辱したり、迫害したり、牢に入れたり、殺したりしました。

イエス様の時代で、全てのユダヤの国を支配したいたいと思った宗教の指導者がいました。律法学者たちや祭司長たちは、相続財産が自分の物だと思いました。何を神様にささげるか、自分達が決めたいと思いました。バプテスマのヨハネが着ました。人々が悔い改めるように、罪を赦す洗礼を受けるように、又、悔い改めにふさわしい実を結ぶようにと言いました。宗教の指導者達は彼を否定しました。ヘロデ王は彼を逮捕して、後で首にしました。そして、イエス様は来られました。「悔い改めなさい、福音を信じなさい」と言われました。イエス様は、御自分が誠のぶどうの木であると言われました。それで、ぶどう園を造った方の息子になります。指導者達はイエス様を否定して、収穫を納めようと思いませんでした。即ち、正義と愛と平和と誠の礼拝をしようと思いませんでした。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』言い換えますと、イエス様を殺しましたら、ユダヤ人の宗教を支配する事が出来ます。

例え話の意味は明確です。イエス様が説明して、皆が理解しました。言われました、『さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。』律法学者たちや祭司長たちは、イエス様が彼らの終わりについて話していると分かったので、彼らはイエス様の終わりを計画して、イエス様を逮捕して殺したいと思いました。

この例え話は預言でした。彼らはイエス様を逮捕して、殺してもらいまいた。預言が続けて、神様はローマの兵隊を送って、エルサレムの町と神殿を壊しました。そして、ぶどう園の新しい農夫とは、キリスト教会の信者たちです。

この例え話は預言でした。キリスト教会の歴史を見ると、教会の中の支配の為に争いがありました。ある時、ある場所で、教会の指導者は本当の犯罪人で罪人でした。平和と愛と正義と誠の礼拝の実の代わりに、争いとけんかと欲張りと圧迫です。キリスト教会の歴史の中に、神様はいつも僕を送ります。教会の人々とその指導者が悔い改めるように言います。多くの勇気を持っている説教者、教師、と殉教者(じゅんきょうしゃ)がいました。良い人が教会から追い出されたり、異端として殺した人がいました。マルチン・ルターのような改革者がいました。時には、リバイバルもいます。素晴らしい説教者、伝道者、宣教師は、大胆に神様の律法と福音を述べ伝えました。大勢の前にも、小さな教会の中にも、その律法と福音が述べ伝えられています。

毎年、今の受難と復活祭の季節で、私達は同じメッセージを聞きます。神様は御自分の愛する子・イエス・キリストをぶどう園に送ります。私達の教会の中、私達の家族の中、私達の心の中にも来ます。神様は収穫を探しています。その収穫とは、信仰を始め、悔い改め、愛、平和、正義、礼拝、祈り、親切、チャリティです。私達はその収穫を神様に納めるでしょうか、それとも、神様が私達をぶどう園から追い出して、本当の信仰と人生を送る人にあげるでしょうか。

神様に誠の収穫を納める人が、一人だけです。それは、神様の子、イエス様です。彼はぶどう園から追い出されて、十字架上で殺されたのですが、その時、御自分の物として、御自分の上に、私達の心の腐った、臭い収穫を取りました。私達の罪を御自分の上に取りました。死にました。しかし、復活によって、誠の収穫、赦しと救いと永遠の命の収穫を父なる神様に納めました。そして、恵みと憐れみと思って、その収穫を私達の物として納めます。キリストによって、私達は、神様が受ける唯一の誠の愛と平和と正義を神様にささげます。これはこの受難とイースターの季節のメッセージです。神様の愛のメッセージです。神様は私達にいろいろのぶどう園を私達の世話に与えました。そこで、聖霊の導きによって、人生を送ります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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