預言者達の忠告

2017年2月26日、変貌主日


マタイ17:1-9
17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、朊は光のように白くなった。 17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、私達がここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。《 17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け《という声が雲の中から聞こえた。 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。 17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。《 17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない《と弟子たちに命じられた。

イエス様は3人の親しい弟子をつれて、山上でモーセとエリヤと話し会いました。私達はマタイの福音書を読みますので、私達もそのグループに入ります。私達もイエス様の変容を見て、その会話を聞きます。

この個所には、その会話の言葉が載っていませんが、ルカによる福音書によりますと、彼らが話したのは、エルサレムで行うイエス様の救いの技です。この救いは、新しい出エジプトのように、罪と悪魔の奴隷状態からの救いです。話の内容は、イエス様の逮捕、裁き、鞭たたき、十字架、死、と蘇りです。

モーセとエリヤは旧約聖書の一番偉い預言者の二人です。私達はモーセの話をよくわかります。イスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から導き出して、シナイ山で神様と出会って、律法をもらいました。モーセはイスラエルの民を荒れ野の中に導こうと思いましたが、人々はいつも頑固(がんこ)でした。律法は人々に活き方を教えましたが、同時に、約束したのは、もし人々が神様に忠実でしたら、主なる神様はいつまでも彼らを守る事です。

エリヤの時代になりますと、多くの人々は主なる神様に忠実ではありませんでした。バアルという偶像を礼拝しました。エリヤは、人々を主に呼び戻そうと思った時、アハブ王とイゼベル女王は彼を殺そうと思いました。そして、ある時、バアルの預言者達とのコンテストが有りました。誰の神が犠牲の祭壇に火をつけるかでした。最後に、エリヤは、火の戦車で天に行きました。

モーセとエリヤには、多くの問題と苦しみが有りましたが、イエス様と話した時、忠告と慰めと勇気の言葉を与えたでしょう。しかし、ペテロ、ヤコブとヨハネもその言葉を聞いて、自分達の教会の中での働きの為に勇気を与える言葉を聞いたでしょう。私達にも勇気が与えられています。預言者達は私達に何を話すでしょうか。

先ず、モーセは確かに、神様の律法を守るように言うでしょう。キリスト信者である私達は、旧約聖書の宗教の儀式的な規則やイスラエル人の為だけの習慣を守らなくてもいいです。しかし、律法が主なる神様の救いの上に基づいていると教えるでしょう。主は、その民をエジプトの奴隷状態から導き出しました。荒れ野の中で食べるマナを下さいました。約束の地まで導きました。それで、第一の戒めは、「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。《(出20:2-3)次の9つの戒めは、その神様との関係や他の人との関係を持って生きる方法を教えます。それで、その9つの戒めを破る時、第一の戒めをも破ります。ですからモーセの律法の罰が厳しいです。何故ならば、隣人に対する罪は、同時に神様に対する罪だからです。ですからイエス様が必要です。イエス様は御自分の上に私達の罪の罰を取りました。天からの声が教える通りに、イエス様は神様の愛する子、神様の心に適う者であるので、彼の上に置かれた罪は完全に赦されています。 モーセの律法は罪を赦す犠牲について話しますが、イエス様は世の罪を取り除く神の子羊です。それで、律法は私達を罪に攻めましても、私達の罪が赦されているという、確信を与える福音があります。それで、変貌山の輝く栄光は、聖金曜日の暗闇の栄光と復活の朝の光の栄光によって、尚更にまぶしいです。

預言者エリヤは、私達に勇気を与えます。キリスト者として疲れてがっかりしている時、勇気を与えます。沖縄の人が誰も教会に来ない、誰もクリスチャンになりたくないと感じる時、それはエリヤの気持ちと同じです。しかし、エリヤは、神様がいつまでも御自分の約束を忠実にすると私達に教えます。イエス様は御自分の父は、忠実にすると分かりました。ひどく苦しくても、イエス様は御自分の十字架を背負って、喜んで、私達の代わりに十字架上で死んで下さいました。それが出来るのは、3日目に復活すると分かるからです。ときどき、私達を救う火の馬車が来れば嬉しいと思います。でも、いつも、エリヤとモーセとイエス様や弟子達と同じように、私達は神様と共に歩きます。教会の受難節、レントの季節、受難節が今週来ます。その時、イエス様の苦しみの寂しさと悲しみと暗闇を見て感じます。イエス様の変貌は、イエス様が本当に神様の愛する子であると私たちに思い起させます。

変貌の山の上で、弟子達はイエス様の栄光を見ました。時々、私達も、自分の人生の中でイエス様の栄光を見ます。例えば、奇跡や癒しや特別の助けがある時です。又、大きな罪の重荷が取り除かれている時でしょう。日曜日の礼拝の中に神様の臨在を感じる時もあります、例えば聖餐式です。愛の幸せの栄光を感じる時もあります。その時、神様に感謝します。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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