2016年7月31日
コヘレト1:2, 12–14; 2:18–26
1エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。 2コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。 3太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。 4一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。 5日は昇り、日は沈み/あえぎ戻り、また昇る。 6風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き/風はただ巡りつつ、吹き続ける。 7川はみな海に注ぐが海は満ちることなく/どの川も、繰り返しその道程を流れる。 8何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず/目は見飽きることなく/耳は聞いても満たされない。 9かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。 10見よ、これこそ新しい、と言ってみても/それもまた、永遠の昔からあり/この時代の前にもあった。 11昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも/その後の世にはだれも心に留めはしまい。 12わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。 13天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。 14わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。 18太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。 19その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。 20太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。 21知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ。 22まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。 23一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。 24人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただくもの。 25自分で食べて、自分で味わえ。 26神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた空しく、風を追うようなことだ。 |
コロサイ3:1-11 1さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。 5だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 6これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。 7あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。 8今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。 9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、 10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。 11そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。 |
Luke ルカ12:13~21
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」 |
第一日課 コヘレト 2:18~26 旧 1036 ページ 第二日課 コロサイ 3: 5~17 新 371 ページ 福音書の朗読 ルカ 12:13~21 新 131 ページ
今日の3つの聖書日課のテーマとは、人生の意味についてです。結論として言いますと、人生の意味、その目的とは、クリスチャンとして生きる事です。
しかし、実際に言うと、多くの人が自分の人生には意味がない、目的がないと感じます。多くの人は落ち込んでいる、悲しい、淋しい、体がいつも痛い、いつも不安と恐れがあります。それで、有る人は暴力したり、自分を閉じ込めたり、自殺したりします。有る人はあきらめますが、有る人は、今の為に一所懸命に働いたり、遊んだり、闘ったりします。
旧約聖書の本、コヘレトはこの事についてです。「コヘレト」と言う言葉の意味とは、「集い」又は、その集いに話す人です。ですから、新改訳聖書の題名は「伝道者の書」と言い、口語訳聖書は「伝道の書」と言います。そして、この伝道師は、神様から与えられた知恵をもって、神様を信じて私達の生き方について話します。しかし、それについて話す前に、ヘブライ語の文法の勉強です。日本語で、一番大きい事を表わす為に、「一番大きい」や「もっとも大きい、もっとも長い、一番高い」のような表現を使います。しかし、ヘブライ語では、一番の事を表わす為に、「大きい物の中大きい」や「青いのなかの青い」のような表現です。例えば、エルサレムの神殿には2つの部屋がありました。聖なる部屋と最も聖なる部屋、し聖堂でした。ヘブライ語の表現とは、その一番聖なる部屋とは、「聖なる部屋の聖なる部屋」です。「聖の聖の部屋」です。それで、コヘレトの伝道師が口語訳聖書で「空の空、空の空、いっさいは空である」と言います。即ち、「もっとも空」の事です。ここに有るヘブライ語の言葉は「空」や「息」や「ガス」や「空気」のような物で、目で見えない、手でつかむ事が出来ない物です。それで、空っぽ、むなしい、役に立たない物です。それで、すべては空しい、人生には意味がない、人生は空しい、人生には目的がないと言えます。人生の為にいらいらする人は、「バカだ、人生や全部が完全に馬鹿だ」と。自分の手の中に、風をつかもうとするのと同じです。何かを得る事があっても、自分がそれを楽しむる事が出来ないで、死ぬ時、別の人がそれをエンジョイするでしょう。
同じように、イエス様は金持ちの農家の例え話を言います。穀物や財産を入れる為に大きい蔵を造りました。そして、その人は言いました、ルカ12:19「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。 しかし、その夜、死にました。持ち物を天国に持って行く事が出来ないので、ほかの人は、彼が集めた富を楽しみます。イエス様は言われました、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」又、言われました、「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
現代の人はその金持ちの人のようです。私達は老後の為にお金をたくわえます。貯金しますが、そのお金を使う前に、経済の問題が起こったり、自分が早く死ぬかも知れません。空の空です。苦労はもったいないでした。
それで、コヘレトの伝道者は、このような忠告を言います、2:24より、
「人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただくもの。自分で食べて、自分で味わえ。は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。」 例え話の金持ちが言いました、「食べたり飲んだりして楽しめ」と。良い解釈として、これは、人生の為に神様を信頼する事です。神を信頼して主の祈りを言います、「日々の糧を今日も与えたまえ」と。「神の前に豊かに」生きるでしょう。何故ならば、神様の豊かさの中に生きるからです。イエス様はこのように言われました、「人の命は財産によってどうすることもできない」と。それでしたら、人生は何でしょうか。人生の意味と目的とはなんですか。
一つの答えとして、新約聖書の素晴らしい伝道者である聖パウロの言葉を見ましょう。今日の第2日課です。 コロサイ3:1-11
1さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。 5だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 6これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。 7あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。 8今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。 9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、 10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。 11そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
人生には新しい意味があるのは、私達には新しい人生があるからです。この地上の物に基づいていないで、天国に基づいています。「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」と。私達はキリストと共に死んだので、私達の新しい命がキリストの所で安全です。伝道者のパウロが言うのは、私達の人生の中に有るすべての偶像礼拝を殺して、破壊する事です。それは、私達の心や人生の中に有る悪です。又、聖パウロは、私達が洋服を着換えた方が良いと言います。新しい制服に着替えのように、人生を変える事です。言いました、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」
その新しい人生は、クリスチャンとして活きる人生です。この新しい人生には意味があります。何故ならば、キリストは、その古い物を壊す為に十字架上で死んだからです。私達の古い罪を赦して下さいました。彼の復活によって、私達に新しい命を与えたからです。この新しい命には意味があるのは、キリストに有る、キリストと共に有るからです。大きな意味があるのは、永遠のものだからです。私達は、活きるのは、今日だけの為にではなくて、永遠の為に生きるからです。それで、命や人生の意味が無限です。生きるのは、無駄ではない、空しい訳では有りません。なぜかと言いますと、神様は私達を愛するからです。神様は私達が大切な者であると思いす。どんなに大切かと言いますと、私達の為に死ぬほど大切です、私達の為に復活して永遠に生きるほど私達を大切にします。
結論として言いますと、人生の意味、その目的とは、クリスチャンとして生きる事です。そのクリスチャンの生活は何であるかと言いますと、マルチン・ルターの小教理問答書を学びましょう。十戒、主の祈り、使徒信条、洗礼と聖餐式と罪の赦しです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会