2019年4月7日、受難節第5主日C
バプテスマのヨハネは言いました、「悔い改めにふさわしい実を結べ。《
預言者イザヤは言いました、神様がぶどう畑のようにイスラエルを椊えましたと。しかし、神様は言いました「良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった《と(イザヤ5:1-7)。預言者エレミヤは同じ例えと同じ裁きを警告しました(2:21)。預言者ホセアも、「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい《と言いますが、多くの偶像の祭壇も作ると言いました(10:1)。すべての預言者達は、神様の裁きと滅びを宣言します。ですから、指導者達によって、預言者達が迫害され、殺されました。イエス様はこのように言われました、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった《(ルカ13:34)。
それで、イエス様はこのぶどう園の農夫の例え話を話した時、皆はイエス様の意味がよく分かりました。神様のぶどう園であるイスラエルの人々を守る仕事を持つ律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいていました。彼らは泥ぼうや人殺しだとイエス様は言いました。それは、彼らはイエス様がぶどう園の主人の愛する息子、神の子、であると受け入れようと思わなかったからです。神様のご計画に従うよりも、自分達がイスラエルの民を支配したいと思ったからです。それで、イエス様やバプテスマのヨハネや旧約聖書の預言者を黙らせなければなりません。それで、どのようにイエス様を逮捕して殺すかと計画を立てました。
最後の晩餐の時イエス様は言われました、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである《(ヨハネ15:5)。その時、その実が愛であると意味しました。続けて言われました、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない《(15:12-13)。
私達が今日、この例え話を聞く時、神様が愛の実を結ぶように願っている事を覚えましょう。現代、神様のぶどう園である教会の中で働くすべての働き人への呼びかけです。「神のものは神に返しなさい《と(Luke 20:25)。すべてのキリスト信者です:牧師、説教者、祭司、教師、教会学校の先生、教会の役員、長老、執事、アッシャー、オルガンイスト、親達、友達などです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会