アブラハムと共に待つ

2016年7月17日


創世記 18:1–14

18:1 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 18:2 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、 18:3 言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。 18:4 水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。 18:5 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」 18:6 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」 18:7 アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。 18:8 アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。
18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、 18:10 彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。 18:11 アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。 18:12 サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。 18:13 主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。 18:14 主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」

今日、アブラハムとサラの家を訪ねましょう。今日、ほかのお客様が来ますが、私達は邪魔しません。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口にマムレの樫(かし)の木の日陰の所に座っていました。座って、多分、自分の人生について考えたでしょう。神様は彼に息子を与えるように約束して、いや、民族をも約束しました。しかし、そこに座っていて目に見えるのは、自分の羊や牛の群れだけでした。アブラハムとサラはもう年を取っていて、サラはもう子供を産む事が出来ない年齢でした。何十年も前に、神様はアブラハムがその約束の地に引っ越すように命令しました。その時、希望と期待で満たされたのですが、今は、人生の残りの時間が短くなりました。暑い日、テントのそばの日陰に座って、道路の方に、三人の旅人を見ました。この三人について、何か違います。服か、歩き方か、突然に現れたからでしょうか。アブラハムは、この三人が神様から来たメッセンジャーだったと分かりました。年を取ったおじいさんでしても、アブラハムが突然立ち上がって、彼らの所まで走って、地にひれ伏しました。言いました、「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」冷たい水少々、ちょっとしたおつまみと言いましたが、ご馳走になりました、ロースト・ビーフ、フレッシュ・ブレッド、チーズやヨグルトと牛乳になりました。

アブラハムは、是非、旅人の話しを聞きたいと思いました。何故ならば、その話しは神様からの言葉であるからです。私達も神様からの言葉を聞きたいと思います。私達にも希望と夢があるからです。自分のプランは神様の御計画に入っていると思うから、その約束が果たされるまで、待ち望みます、いや、不安で待ちます。自分の家の縁側で、暑い夏の日で、自分の希望がだんだんうすくなります。

時々、アブラハムでさえも、神様の約束を疑ったでしょう。私達もそうです。私達がアブラハム程歳を取らなくても、神様の事をギブアップする事が出来ます。若い時も、神様の愛が本当に私達の為であるかどうか考えます。待つ事がつらいです。暑いですし、退屈です。どうして、夢が現実になる為待つでしょうか。アブラハムの所に来られたように、神様が本当に私達の所に来るでしょうか。神様が私達の事を忘れたでしょうか。又、神様にとって、私達の人生の目的は何でしょうか。

それで、私達はテントの入り口で座ったアブラハムの心を理解する事が出来るでしょう。そして、その三人の旅人が来た時、どうしてアブラハムが彼らに走っていって迎えたか分かるでしょう。彼らには神様からのメッセージがあると希望したからです。そして、本当に神様からの言葉がありました。神様の約束を確認しました。一年後、サラは約束された子供、イサクを産みます。笑う程の喜びを与える子供になります。神様はアブラハムへの約束を忘れていませんでした。神様は決して、御自分の民をみ捨てません。

聖書の中では、これが大きいテー マの一つです。即ち、神様は決して御自分の民をギブアップしないで、御自分の約束を果たす事です。その約束は、アブラハムを始め、イサクにも、ヤコブにも、モーセやダビデにも与えて、又、天使ガブリエルによって、ナザレのマリアとヨセフにも与えて、聖霊によって、聖ペテロ、パウロとヨハネにも与えて、また、私達にも、牧師と教師と友達であるメッセンジャーによって、聖書のみ言葉によって与えました。この約束はどこにあるかと言いますと、バプテスマの水の中にも、聖餐式の盃の中にも、聖書の語る言葉の中にもあります。

これは新約聖書のメッセージです。バプテスマのヨハネとイスラエルの人々は、約束されたメシアの救い主を待ち望みました。そして、イエス様が来られて、素晴らしい事を告げました、神の国が近づいて来た事、即ち、神様の約束が成就します。人々は、新しい希望と信仰で満たされました。神様は、御自分の御子をこの世に与えたのです。この世の罪と憎しみと失望と不信仰がこの御子の上に置かれましたが、彼の死と復活によって、そのものが赦されて、制服されました。そして、その復活の中には新しい希望が与えられました。何故ならば、私達が分かるように、神様は本当に御自分の約束を覚えて果たすからです。

暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていたのですが、その三人の旅人を見た時、すぐ椅子から飛び上がって、走って、急いで、彼らを迎えに行きました。「アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた」のです。このおじいさんに新しい元気がありました。何故ならば、自分の為に、神様からのメッセージがある希望があったからです。そして、そのメッセージがありました。

信仰と希望には、私達の為にも、その力があります。神様の約束を信頼する、新しい元気があります。それで、私達の人生が豊かになって、愛で満たされます。神様が私達の為に、永遠のご馳走を用意されるからです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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