私達はペトロです、#2

2020年8月30日


マタイ16:21*28

16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。16:22 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。《16:23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。《

16:24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。16:27 人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。16:28 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。《



先週のテーマとは、「私達はペテである《と。ペトロのように私達も自分の信仰を告白する時、私達はペトロです。即ち、イエス様が「キリストであり、生きている神様の子である《と告白する時です。私達の信仰は、固い岩の土台であるイエス・キリストに建てられています。「ペトロ《と言う吊前は「石《と意味します。そして、ペトロと共に、私達はイエス・キリストの教会の石になります。

今日、私達は違う方法でペトロのようになります。それは、私達は福音に対する邪魔なもの、転ぶ石になる時です。

先週、イエス様は弟子達に聞きました、16:15「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。《そしてペトロは答えました「あなたはメシア、生ける神の子です《。問題は、ペトロがメシアの働きについての理解です。普通の人々の考えたのは、メシア・キリストは、自分の国をローマの支配から自由にする救い主です。別に宗教的な指導者を待ち望みませんでした。力強い政治的や軍人の指導者です。自由と平和をもたらす者です。栄光と勝利がほしいでした。イスラエルの国が再び、ダビデ王やソロモン王の時代のように、力強い、豊かな国になるようになってほしいと思いました。それで、イエス様はご自分のミッションが違うと教えた時、ペトロはがっかりしました。イエス様は失敗者になるだろうと思いました。このように読みます「16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。《ペトロは、これがメシアの働きではないように聞きました。それで、先生にアドバイスを言いました、注意しました、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。《.

ペトロは間違いました。イエス様はすぐにその間違いをやめました。言われました、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。《

以前、サタンは荒れ野でイエス様を誘惑しました。その誘惑とは、苦しみと弱さの道を捨てる事でした。ゲッセマネの園で祈る時、苦しみと十字架から逃げるように誘惑されました。それで、サタンと同じように、ペトロも、イエス様が苦しみと裁判と十字架を捨てるように誘惑しました。問題は、それをしましたら、罪の赦しと3日目の復活もなくなります。そうでしたら、イエス様は私達の救い主になりません。

私達がペトロになるのは、私達がイエス様の邪魔をする者になる時です。これは、例えば、自分のプライドで、自分の罪を告白しようと思わないで、罪の赦しを受けようと思わない時です。これは上信仰の思いです。又、私達がペトロのように、十字架が恥ずかしいと思う時です。私達のすばらしいイエス様がひどい苦しみを受けて、十字架上で殺された事が自分にとって恥じであると思う時です。それで、伝道や自分の信仰を分かち合う事が難しくなります。自分にとって分かりづらい事を他の人に説明する事が難しいからです。どうやって死が命になるか、どうやって裁きが自由になるか、どうやって痛みが癒しになるかを理解する事が難しいです。ペトロはそれが分かりませんでした、そして、私達はペトロと同じです。又、イエス様の邪魔をする者になるのは、自分の人生と他の人の人生の中で、福音の力を否定する時です。福音の力とは、十字架上のイエス様の業です。福音の力とは、罪の赦しです。それは、他の人の為の愛と親切と哀れみです。それは、神様が私達の為に下さった愛と親切と哀れみです。

イエス様はペトロに言われました、「サタン、引き下がれ。《ペトロを裁きませんでした。「行け!Go away!《と言われませんでした。『私の前に立って邪魔しないで、私の後ろについて来なさい』と言われました。イエス様は私達にも同じ事を言われます、『私の後ろに引き下がれ』と。私達はイエス様の後について歩きますと、クリスチャンになる事が分かって来ます。イエス様は弟子達に言われました、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。《この言葉を聞いて、ペトロは驚いたでしょう。ペトロは自分の十字架を取りたくありませんでした。死にたくないのです。3回もイエス様を否定しました。自分の命を失いたくありませんでした。しかし復活後、イエス様には命を与える力があると習いました。使徒言行録に記録されたように、ペトロは、邪魔の壁を取り壊す方法を習いました。ユダヤ人にも異邦人にも福音を述べ伝えました。ペンテコステの日に、聖霊の力を述べ伝えました。洗礼と罪の赦しを述べ伝え巻いた。

それで私達はペトロです。信仰告白の時にも、迫害と苦しみを恐れる時も、主の道を歩く時も、クリスチャンとして人生を送る時も、私達はペトロのようです。

今日の主日の祈りを祈りましょう。

「神(かみ)様(さま)。世(よ)のために苦(くる)しみの道(みち)を選(えら)ばれた御(み)子(こ)に感(かん)謝(しゃ)します。御(み)子(こ)に倣(なら)って私(わたし)たちが己(おのれ)を低(ひく)くし、従(じゅう)順(じゅん)の道(みち)を歩(あゆ)み、あなたの戒(いまし)めに従(したが)うことができるように力(ちから)を与(あた)えてください。救(すく)い主(ぬし)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。 アーメン。《

Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


Sermon Index

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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