2022年5月1日、復活節第3主日
9: 1さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、 2ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。 3ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 4サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか《と呼びかける声を聞いた。 5「主よ、あなたはどなたですか《と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 6起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。《
7同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。 8サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。 9サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
10ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア《と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります《と言った。 11すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという吊の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 12アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。《 13しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 14ここでも、御吊を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。《 15すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの吊を伝えるために、わたしが選んだ器である。 16わたしの吊のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。《 17そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。《 18すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 19食事をして元気を取り戻した。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、 20すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である《と、イエスのことを宣べ伝えた。
新しい食べ物の味をみたいと思いましたら、食卓に座らなければなりません。どこかの文化を習いたいと思いましたら、その国を尋ねる必要があります。キリスト教を理解したいと思いましたら、日曜日に礼拝堂に入らなければなりません。聖書を理解したいと思いましたら、聖書のペイジを開いて、モーセやダビデやパウロやペトロにならなければなりません。ペトロについて読みますと、自分がペトロと同じであると見る必要です。私達はペトロになってみると、甦られた主が、赦しと力の言葉を話して下さいます。サウロの回心について読みますと、聖霊の御言葉をはっきりと聞きます。それで、聖パウロになったサウロになります。
その日の朝、サウロには自分が正しいと言う確信でいっぱいでした。自分の心で、自分が神様の働きをしていると信じました。エルサレムの宗教の指導者の支えがありました。使徒言行録9:2「大祭司のところへ行き、 2ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。《イエス様を迫害する事は悪ですが、サウロ自身は、良い事だと思いました。
皆さんがこのようなサウロにならないようにと思います。しかし、キリスト信者である私達は気をつけなければなりません。キリスト教会の歴史の中で多くの悪があります。現代の教会の中にもそうです。自分の行いが神様に喜ばしいと思います。ルーテル教会として、ローマ教会が宗教改革者達を滅ぼそうと考えて、又その100年も前にどのように教会の誤りを直そうと思ったヨハン・フッスを異端者として焼き殺した事を覚えます。それが正しい事と思いました。現代も、例えば、宗教を利用して政治上の相手を滅ぼしたいと思います。間違いするのは、簡単です。コンテキストからいくつかの聖書の箇所を取って、神様があなたの意見を認めると思います!謙遜を持って、気をつけましょう.もちろん、私達は頑固で石頭です。私がそうだと分かります。場合によってそれは良かったです。この悪に満たされた世界に生き残る為に、キリスト信者達には、強い意志が必要です。何を信じたらいいかと分かりにくい時があります。ですから、祈りと甦られた主の訪れが必要です。
3節から5節まで読みます。「3ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか《と呼びかける声を聞いた。 5「主よ、あなたはどなたですか《と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。《恐れおののき、地面に倒れ落ちました。サウロは裁かれていました.怒りの神の前に罪人でした。旧約聖書の預言者イザヤは言いました。(6章5節)「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。《災いだ。
み言葉と聖礼典の中に復活した主が私達に現れる時、自分が罪人であると告白する時、私達がサウロやイザヤのようになるべきです。「恐れおののき《です(フィリピ2:12)。マルチン・ルターは、十戒をこのように説明しました。「わたしたちは、何ものよりも、神を畏れ、愛し、信頼しなければなりません。《(十戒第一の意味)。ある時に、小さい羊のように私達は良い羊飼いイエス様に従います。しかし、神様が私達の罪深い心を割って開ける時、み言葉の裁きのまぶしい光にあてられた時、罪人にとって、聖なる恐れを持つべきです。サウロのように、神様の御前で自分を低くします。礼拝堂の長い椅子でひざまずきます。しかし、神様の怒りと共に、神の愛があります。アナニアのような人を私達に送ります。
それで、私達は新しいサウロになります。サウロは新しい吊前を取りました、パウロ、聖パウロです。綺麗な回心のはなしです。「17そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。《 18すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 19食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、 20すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である《と、イエスのことを宣べ伝えた。《
聖霊が私達に赦しの福音を表す時、それは私達の目からうろこのようなものが落ちるようです。自分の古い罪深さを見ます。悔い改めます。洗礼を受けます。又、自分の洗礼に戻って、新しい清めと新しい生まれ変わりになります。福音の光が神の愛を表します。それで、もう、他の人を迫害しないで、しばりをつけないで、むしろ、自分と解放の福音を述べ伝えます。
聖書の中に入り込む時、復活した主と出会います。そして、自分が新しいサウロ、新しい聖パウロになります。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会