畑の雑草

2020年7月19日


マタイ13:24-30, 36-43

13:24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。13:25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。13:26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。13:27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』13:28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、13:29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。13:30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい《と、刈り取る者に言いつけよう。』《

13:36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください《と言った。13:37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 13:38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。13:41 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと上法を行う者どもを自分の国から集めさせ、13:42 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。13:43 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。《

先週の福音書の日課は、種を蒔く人の例え話でした。その人はあらゆる所に種を蒔きました:道路に、石だらけの所に、茨の中に、又、良い土地にも蒔きました。ある種が食べられたり、やぶにふさがれてしまったりしましたが、良い土地に落ちたものは、沢山の実を結びました。勿論、イエス様は福音伝道について話しました。ある人は聞きますが信じないし、ある人は聞きますが興味がないし、ある人は聞きますががっかりしますが、ある人は聞きますと信じて、信仰と聖霊の実を結びます。ですから、私達の伝道の働きの為に希望があります。イエス様の約束とは、人は御言葉を聞いて信じる事です。

今日の福音書の日課、敵が来まして、良い土地に言われている毒麦の雑草を蒔きました。「そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい《と、刈り取る者に言いつけよう。』《イエス様はこの例え話を説明しました。先ず、今の教会の状態です。罪人と聖徒の交わりです。そして、未来の世の終わりの最後の裁判です。一つの収穫ですが、二つの裁きがあります:地獄の燃え盛る炉と父なる神様の天国です。

例え話の僕たちはその毒麦を抜き出して畑を綺麗にしようと思いました。教会の中のある人々は、教会からすべての悪い会員を追い出して、自分の教会を清くして、綺麗にしたいと思います。第一の問題とは、私達人間が他の人の心を読む事が出来ない事です。他の人の信仰を知る事が出来ません。その人との振舞いを見て判断する事が出来るでしょうが、本当の信者達もよく罪を犯して間違いをします。イエス様の赦しはその人の罪より大きいです。他の人を裁く前に、それを考えて下さい。今日雑草のように見えるものは、後で良い麦であると分かってくる時があります。即ち、乱暴な青年時代に多くの毒麦を蒔いた人が、あとで社会的に良い人になる可能性があります。信仰に疑いを持って異端の事を言っても、後で福音の誠を信じる事が出来ます。 逆のケースもあるでしょう。罪やこの世の問題と悲しみの為に、人の心を変えてしまう可能性もあります。試練は、ある人を強くしますが、別の人を弱くします。ですから、誰が良い人か、誰が悪い人か、私達には分かりません。世の最後の日の最後の収穫の時、誰が本当にキリストに忠実に立つか、私達には分からないからです。もう一つの問題は異端と間違っている教えや教理です。キリストに対する疑いや拒否になるかも知りません。ある教えは教会の中で大きい騒ぎを起こします。しかし、誰が正しいでしょうか。ある時、分かりにくいです。

雑草を抜き出す危険は、先ず、誰が本当に雑草であるか分からないからでした。次の問題とは、間違って、良い麦をも抜きとる可能性があるからです。誰かの信仰を壊すかも知りません。私達が悪いと判断するものは、本当に良いものかも知りません。それは、罪深い自分のイメジーに他の人を比べる時です。その人が自分と違うので、何か間違っている、何か悪いと思います。又、誰かの信仰を駄目にするスキャンダルを起こすかも知りません。即ち、問題より、それを解決する方法が大変の時があります。ことわざがあります、「病気よりも治療が悪い《と。例えば、本当に悔い改めたくないひどい罪人を教会から破門しますと、その人は自分の家族全部を教会からやキリストから引き離す事があるでしょう。ですから、イエス様はこのような事を考えているでしょう。又は、人はやかましい牧師や役員の事をきらい、それで教会から去ってしまうでしょう。

私達の周りに多くの毒麦がありましたら、どう生きるでしょうか。この罪深い世の中で、どう生きるでしょうか。教会の中には、実に、すごく悪い人がいます。彼らの事を警察や裁判所にゆだねます。神様の教会として、私達にある権利と使命があるのは、福音を述べ伝える事です。律法と福音を述べ伝えます。律法が除草剤{じょそうざい}ですたら、福音は fertilizer 栄養剤です。律法は殺しますが、福音は命を与えます。言い換えますと、悔い改めと改心で、愛と赦しです。私達はイエス様の十字架を述べ伝えます。

私達が住む世界はこのようなものです。私達が住む教会もこのものです。イエス様はこのような世界に来られて愛と赦しの福音を述べ伝えました。世界の雑草と罪と死の畑に、イエス様ご自身は良い麦のようでした。しかし、敵はイエス様を悪いと裁きました。イエス様が捕らえられ、逮捕されました。燃え盛る炉の中に投げ込まれる事よりも、十字架上で殺されました。しかし、彼の復活によって、赦しと新しい生まれがあります。それで、私達が裁かれた雑草から、永遠の命の為に贖なわれ、義とされたものに変わりました。

私達の回りに、その雑草ばかりがありますので、どう生きるでしょうか。この罪深い世界の中で、どう生きるでしょうか。

1.忍耐。世の終わりまで偲びます。

2.その仕事を天使にまかせる事です。「人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと上法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。《

3.愛と赦しです。これは、ただキリスト信者として生きる事です。

4.愛と赦しです。これは、大切な点だから、もう一度言おうと思いました。

5.福音を述べ伝える事です。悔い改めと改心の為に祈ります。そして、

6.神様を信じる、神様を信頼する、神様に希望する事です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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