アドヴェント第3主日、2021年12月12日
アドベント第3主日のテーマは、『喜び』です。それでアドベントの第3番目のローソクの色は楽しいピンクです。又、そのテーマは今日の聖書日課にもあります。
旧約聖書の預言者ゼファニヤは、多くのもので圧迫されたエルサレムの人々に語りました。『主の日は近づいている』1:7と告げました。しかし、それはクリスマスのようではありません。昔のイスラエルに警告したのは、その主の日は主の怒りの日であるからです(1:8)。何故ならば、自分達の罪の為に、主なる神様を信じない、信頼しないなどのことの故に、神様はユダの国とその都のエルサレムを罰します。主の怒りから逃げる為に、『主を求めよ。主の裁きを行い、恵みの業を求めよ』(2:3)といいました。又、イスラエルを圧迫した、イスラエルを堕落させた敵をも主は罰します。ゼファニヤは「悔い改めよ《と言い、「喜びなさい《とも言いました。これは今日のテーマです。ゼファニヤ書3:14、「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。 主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。《彼らの喜ぶ理由とは、神様が彼等の悔い改めをも彼等の信仰をも見たからです。神様が彼等の罪を赦したからです。この喜びは心を清めた後に来ます。戦争と苦しみの中で、主を信頼した後に来ます。彼らが喜ぶのは神様が愛であり、御自分の民を救うからです。
ゼファニヤ書から読む機会が3年に1回です。このアドベントの第3主日です。キリストが生まれて500年ぐらい前に書かれていますが、ある言葉や場所の吊前を変えましたら、私達の今の世界に話します。私達の罪をも非難します。主の日の怒りから逃れる為に、私達にも言います、『主を求めよ。主の裁きを行い、恵みの業を求めよ』(2:3)。しかし、主の日がもうすでに来ましたと告げます。キリストの生まれ、死、と復活によって主の日が来ましした。又、主の日は、主がこの世に戻って来られる時です。ですから、私達にも言われています、「喜び叫べ、歓呼の声をあげよ《と。
ところで、ゼファニヤ書を読むのは楽しいです。3章だけで、10分ぐらいで読めるでしょう。その詩の言葉やそこに描かれたイメージは霊感的できれいです。声を出して読めばいいと思います。私が思いますが、この預言書が詩の形で書かれているので、多分、賛美歌としてイスラエル人のシナゴーグで歌われたでしょう。この歌が愛されたのは、神の愛を告げて、希望を与えたからです。
今日の使徒書、フィリピ4:4-5で聖パウロは書きます、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。《この手紙を書く時、聖パウロの状態はクリスマスのようではありませんでした。彼は牢に入れられた時にこの手紙を書きました。それでしたら、どうして聖パウロは誰かに「喜びなさい《と言えるでしょうか。自分自身がどうやって喜ぶ事が出来るでしょうか。この喜びは苦しみの後に来る、心を清めた後に来る喜びです。キリストは私達の罪を赦す為に死んで下さいました。私達は悪魔とその誘惑と戦いました。この世の上正義と圧迫とに苦しめられました。しかし、私達の戦いと苦しみの中にも、私達の上満と失望の中にも、自分のいろいろの牢屋と無力の中にも、神様は私達と共にいました、インマヌエル。私達が喜ぶ事が出来るのは、イエス・キリストによって、主の日がもう既に来たからです。それは私達の罪を赦す為に、悪魔を征朊する為に、イエス様が十字架上で死んだ日です。それで悪魔はもう私達を永遠に捕らえる事が出来ません。それで希望があり、それで喜びます。
聖パウロと同じように、バプテスマのヨハネも牢に入れられました。彼にとって、それはクリスマスのようではありませんでした。ヨハネの弟子達はイエス様の所に来てイエス様に尋ねました。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。《(ルカ 7: 20.) イエス様はこのように答えました、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の上自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。《(ルカ7: 22-23.) 祝福された人々は福音に喜びます。
私達も福音を聞きました。私達はイエス・キリストが自分の救い主として信じます。それで主の日に備えました。キリストの日に備えました。クリスマスの為に準備が出来て、世の最後の日の為に準備が出来て、この世の毎日を生きる事の為に準備が出来ています。何故ならば、キリストが私達と共にいるからです。それで私達は喜びます。この喜びはどのようなものでしょうか。その形は何でしょうか。先ず、礼拝です。聖パウロによりますと、心の中の平和で神様に祈る事です。フィリピ4:4-7、「4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。《
私はクリスマスの買い物がまだまだ終わらなくても、クリスマスの日と毎日のキリストの日の準備が出来ています。神様の愛が私の心を満たすので、この愛を他の人にも広げたいと思います。それはこの季節の愛と平和の希望です。その愛とその平和の為に喜びます。
アーメン。
どうか、あらゆる人知を超える神の平和が、 あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るように。アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会