教会は、病院のように癒される所。
学校のように学ぶと所。
人生を戦うのに、強くなるための訓練所のような所。
船が迷わないように導かれる灯台のようなものです。
神の世界的な麗しい家族のようなものです。
“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。” (ヨハネ 3:16)
有賀喜一師の証
①禅宗の熱心な家に生まれ、お経をよんだり、滝に打たれて修行を行っていました。
②友達が11歳で亡くなり、死んだらどこにいくのかと考え、難行苦行の勤めを行なってきました。
③しかしお坊さんに、死んでどうなるか聞いても、「人間は死んでみなけりゃわからない」という答えしかなく、自殺を試みましたができず、がっかりしていました。
④大晦日に寺に行こうとしていたところ、クリスチャンの先輩に会い、初めて教会に行きました。
聖書からわかったこと
①神というのは、八百万ではなく、お父さんである真の神様は唯1人であること。
②神は目に見えないので、目に見える形としてイエスキリストが生まれ、私たちの身代わりとして十字架で死に、墓に葬られ、3日目に蘇られたこと。
③自分はゆがんだ人間の自己中心的な汚い者だということ。
④イエス様の十字架の死と復活により、あり得ないことをされた神様は、人間を、難行苦行の努力や自分の知恵で救うのではなく、罪を認め、悔い改め、信仰によりイエスキリストを受け入れるのなら、贈り物をただで受け取るように、なんと、今晩すぐ救われること!それで罪は許され、神の子となり、永遠の命をもらえることを知り、イエスキリストを受け入れました。
⑤八百万の神は、いくら拝んでも返事がないし、実在しないものを信じても頼れず、よりかかっても倒れてしまいます。
⑥永遠の命とは、毛虫が蝶々に変わるようなもので、誰でもキリストを信じるなら、新しく作られ素晴らしい人生の勝利が始まります。強制ではなく自分で選ぶのです。信じて受け取って下さい。