説教


四旬節第4主日礼拝
2011年4月3日
 
くすしき主の恵み
 

口付けを交わすことで挨拶を交わすのは、私たち東洋の世界ではあまり親しまれない挨拶の仕方ですが、欧米文化の中では日常的な挨拶であります。イスラエルの人たちも、日常生活の中での挨拶として口付けを交わしていました。しかし私は、口づけよりももっと美しい挨拶があると思います。それは、目を合わせるということです。「目づけ」と言ったらおかしな日本語になりますが、(韓国語ではあります)、「目を合わせること」と表現した方がいいのかもしれません。

ですが、私たちは、毎日出会う人たちと、どれだけ目を合わせて挨拶をしているのでしょうか。みんなの生活バターンが違いますから、人との出会う場所や形も違うと思いますが、私たちは、いろいろの場面で人と出会います。たとえば、電車やエレベーターのような狭い場所で知らない人と一緒にいる、しかし、そこで私たちは、できれば知らない人と目を合わせないようにします。大勢の人が狭い空間の中に一緒にいるけれど、誰一人目を合わせようとしない世界、絶妙なことに各々の視線は行き違っていますし、偶然目が合ったとすれば、慌てて視線を移してしまう世界であります。

このような光景は、最近家族が集まる家にもあると言われます。夫婦の間に、親子の間に、特に父親と目を合わせて、挨拶をした覚えがない子どもたちが増えてきていると言われます。もう大人になった人たちの中でも、父親と目を合わせて言葉を交わしたことのない人が大勢いると言われます。このことは、段々と、家庭の中で、本当の意味での対話がなくなっていることを現していることでもあります。家族との関係の中でもこうですから、職場の同僚との関係は言うまでもありません。

しかし、目を合わせない人同士で充分な対話ができるとは思えない。そして、対話が乏しい人同士が、互いを知り合うことはとても難しいことです。電車やエレベーターのようなところで、一回きりの出会いの場所では、わざわざ目を合わさなくても、しかし、家族同士が、職場での仕事の仲間同士が、さらには、教会の中で主の家族と呼ばれる関係の中にいながら目を合わせたことが一回もないとするなら、そしてそれが当たり前の関係となっているならば、それは少し問題があると、振り返る必要があります。

ある人は、このように、人たちが人間関係を乏しくしていくには、その原因がると言います。つまり、現代の人たちが人生に疲れているからと言うのです。人生に疲れている、つまり、生きる意味が分からないまま、ただ仕方なく生きているような生き方をしているその姿に、温かい視線は奪われて行ってしまうのだそうです。毎日の生が、労働の連続でしかない、それによって、体の中の細胞、神経一つ一つに疲れが蓄積されている。一日一日が能動的にではなく受動的である。こんなときには、人から送られてくる温かい視線さえ、むしろ負担な思いで受け止めてしまうのだそうです。ですから互いの視線が負担に思う状況の中で、対話を交わすことは決して楽しみではなく、労働の連続としてしか受け止められなくなるのだそうです。
このような生の歩みの延長線上にある時、人は、他者の生活に関心を持つことはできませんし、他者との関係作りにも意欲をもてないのは当然なことでしょう。そこでは、愛し合う関係など考えられないことでありましょう。

今被災地にいて避難生活を強いられている方々の心が病んでいることがとても心配されています。初めは、地震や津波によってすべてが奪われた、家族が津波に巻き込まれたというようなショックで心は興奮状態でありました。それが、時間の流れと共に、現実に戻っていく中、いろいろの事に気づき、思いだし、考えるようになりました。しかし、気づいて思うことが、ただただたまっていくばかりで、それを吐き出す場がない。心が病み一方であるのです。だからといって、それを無理していっぺんに吐き出させてはならない、とても難しい状況の中にあって、被災者たちは二重三重に苦しみを背負っていることになります。

このように、人の心のダメージというのは、表面的には図ることが難しい、とてもセンシティブなことです。外傷のように薬を塗って、赤蓋ができて、黴菌が死ねば治って行くようなことではないからです。つながっていた人間関係が崩れたこと、もはや、目を合わせて挨拶をし、何でもないことを話し、何でもないことで笑いながら、泣きながら生活していたその生活が二度と戻らない、と言うことから来る辛い思いの中から、何とか、癒されますように、救われますように、祈るとともに、そのために私たちにできること、私たちが、健康な心を持ってその方々を覚えて祈ることを怠らないためにも、自分と、そして隣にいるもう一人の他者としっかり向かい合いたいのであります。

人と目を合わせる。
ですから、このことは、目そのものを合わせるということより、心を合わることだと思うのです。

今日、イエスさまは、一人の目の見えない人を癒し、目が見えるようにしてあげたことに対する批判を受けています。それは、目の治療をなさったのが、安息日だったからであります。安息日に、生まれつき目の見えない人の目を癒す行為が、ユダヤ人にとっては、安息日の掟を犯したことになったのでした。安息日の本来の意味するところを受け止めずに、表面的な事柄だけを受け止めているために、安息日を守る掟は、とんでもないところで人を縛っていたのです。たとえ、安息日に、つまり、この礼拝の時に誰かがいのちに関わるほどの病で倒れたとしても、助けるために治療の行いをしてはならない、してしまったら安息日を犯してしまうことになる。直ちに処刑に値する。ましてや、生まれつきの目の見えない人を、他の日でもなく安息日に癒してあげたのですから、とんでもないことになります。まさに、目に見える行為や表面的な文字を守ることに重みをおくあまり、心の奥底にある思いや安息日の大切な意味はないがしろにされていく。目を合わせて心をつなぐような、安息日だからこそみ言葉によって心が開かれ、開かれた心で神と人とにつながるようなことはできなかったということ。大切なことは抜け取られた、空っぽの、真理が、真実性が失われていた掟となっていたのです。それを排他的な信仰と言うのでしょう。

心の目でつながることができていない人間関係。ともすると、私たちは、すぐこのような人間関係を作り上げてしまうのでしょう。

聖書日課を読んでいらっしゃる方は、本日の箇所を既に読まれたのではないかと思いますが、今週は私が執筆していますので、本日の日課から少しお話をさせていただきます。本日の聖書日課に書いたのは、あの有名な讃美歌『アメージング・グレイす』を作曲した人、ジョン・ニュートンについてでした。

ジョン・ニュートンは、黒人を奴隷として売る、奴隷貿易をしていた人でした。彼の父が船乗りで、彼も父の仕事を受け継ぎ船乗りとなり、黒人を船に乗せて奴隷として売るために運ぶ仕事をしていました。それで彼は金持ちになります。ところが、彼の母親は敬虔なクリスチャンでしたが、彼は、その時までは、母親の敬虔な信仰を受け継ぐことはありませんでした。

その彼が、ある日、海のただ中で嵐に遭い、船は、今にも高い波の海の中に呑まれそうになります。その時、彼は生まれて初めて母親が信じる神さまに、それそこ心を込めた真実な祈りを捧げました。何とか、この荒波を沈めて、そこから救い出してくださいと祈ったのです。すると、嘘のように嵐は止みました。この事件をきっかけに彼の人生は変わります。彼の言葉を借りますと、第二の人生がここで始まったのであります。

その後も彼の奴隷を売る仕事は続きますが、しかし、奴隷を物のように扱わないように変わります。奴隷たちは、売られる国へ行く船の中で感染症や栄養失調で死ぬ人が多かったように、その扱いが本当に物扱いを受けていたそうです。しかし丁寧な扱いをするようになったと。そのようにしてしばらく船乗りは続きますが、6年後、彼は仕事を辞めて牧師になります。あの時、嵐の中で、自分を救い出してくださった神さまの測りも知れない恵みを忘れることができない。神を神とも思わず、人を人とも思わないような生き方をしていた自分を、嵐に呑まれて死なないように、救い出してくださった神さまの、無限の恵みに応えて生きたいと、彼は献身の道を歩むようになります。
もはや、彼は、人と心からつながる、相手の目を見てその相手とつながる、という生き方を神さまに教えられのでしょう。アメージング・グレイスはその状況の中で生まれた曲であります。

神を神とも思わず、人を人とも思わない生き方。
これが、イエスさま当時のファリサイ派、多くのユダヤ人たちの律法の守り方であったのでしょう。ジョン・ニュートンがやっていたようにではなくても、しかし、聖書という名のもとで余儀なく救われる人と救われない人を区別し、虐げていく。律法を盾にして信仰を営むと言うことは、このようなことであります。目に見える形で人を殺したり、物扱いをしたりはしなくても、律法主義の中に自分の信仰の歩みをおくとき、同じことをしていることになるのです。その律法主義が、私たちの中にはないでしょうか?というといかけであります。

つまり、心の目が閉ざされている状態であります。心の目が閉ざされているから、真実のために怒るところで怒ることができない。共に喜ぶ所で喜ぶことができない。弱い立場にいて悲しむ人の悲しみが分からなくなるのです。安息日にこそ、堅く閉ざされている罪人の心の扉を開こうとする癒しの行為を受け入れることができなくなっている。この世的な社会のルールに一所懸命に乗ろうとするあまり、目の見えない人の立場から物事を考えることができないのです。ですから、敬虔な礼拝の場所で、見えない目が見えるようになると言う癒しの行為がなされることに、うるさい、とさえ思ってしまう。いいえ、実際に、敬虔な礼拝の流れを断ち切られるのが気に入らなくなる。イエスさまの当時の大勢のユダヤ人たち、今、イエスさまを捕まって、処刑に当てようとする人たちはそういう人たちでありました。

イエスさまは、そういう人たちも一緒にいる群れのただ中で、安息日の礼拝のただ中で癒しのみ手を差し伸べられたのです。その行為を見て、それを邪魔な行為として受け止めるか、それとも、恵みの行為として受け止めるか、それは、個々人の信仰の分によって異なることでしょう。
その方が、今も、この礼拝の中で癒しのみ手を差し伸べておられます。何より、私たちの、頑なな心の戸が開きますようにと祈りながら、そして、相手の痛みを、悲しみや悔しさを受け止める心となることを祈りながら癒しのみ手を差し伸べておられるのです。

私は、本当は、律法主義を重んじる者、人の痛みも知らずに自分勝手なことしかできない、自己満足を図ることでしか相手のことを評価しない、その私の心に主のみ手が差し伸べられているということ。そもそもここに招かれる資格などない私が、今ここに招かれているということ。それは、私から、ずっとみ顔を離さずに、私が神さまを悲しませたその時も、神さまに背を向けたあの時も、神さまは私からみ顔の光を照らしてくださいました。神さまのくすしき主の恵みに他なりません。

私たちが、社会のルールに合わせて生きるためにあまりにも一所懸命に歩いて来て、そして人生に疲れているという理由で互いの視線を退けてしまうなら、心はますます貧しくなりばかりでしょう。
人と目を合わせるということは、相手と目を合わせる時、相手の瞳の中に移っている自分の姿を見るのです。相手の瞳の中に移っている私が、どんな姿をしているのか、相手の瞳の中にいる自分を見失わないために、私たちは相手としっかり目を合わせて挨拶をし、心の目で言葉を交わすことでつながっていきたいのです。こうして、私たちが、互いにつながっているそこに受難の主も共におられます。






聖書


 ヨハネによる福音書9章13~25節
13 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。 14 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。 15 そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」 16 ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。 17 そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。 18 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、 19 尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」 20 両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。 21 しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」 22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。 23 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。 24 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」