説教


待降節第2主日
2011年12月4日
 
主の来られる道を備える人
 

車を運転する人にしか通じないことなのかもしれないけれど、運転する人の性格によって、信号がある大きな道を走るタイプと細々とした裏道をわざわざ探して走るタイプに分かれるのだそうです。みんながそうではないと思いますが、さて、運転する皆さんはどちらのタイプでしょうか。

しかし、細い道であっても道があるだけでいいと思います。場合によっては、道がないところを走らされるときがあるからです。日本では余り経験することがないかもしれません。それこそ、荒れ野のようなところでは、人は何をしるしにして走るのでしょう。

このことは車の運転に限りません。皆さんは誰も歩いたことのない道を、自ら作りながら歩いたことがありますでしょか。道がないところに道を作るとは、いろいろの場合があると思います。実際の山道を歩いていて、人が通ったことのないところを通らなければならない場合もありましょう。私のように、母に注意されたのにもかかわらず、人が歩いたことのない夏の草むらの中を歩いて蛇の巣に入りそうになった、とんでもない経験をする場合もあります。

道がないところを行くということは、これだけ危険を伴うことであります。歩くところに何が出てくるか分からない、その先に何があるか分からない、冒険と不安が多い歩みです。
ところが、生きているうちに、人は、何回、歩む道を失ったりすることでしょうか。息をして確かに生きていて人生の時計は間違いなく進んでいるけれど、進むべき道を失って止まってしまって、どこへ向かって、どうやって生きたらいいのかわからなくなる時があります。

昔、イスラレルはエジプトを脱出し、道のない荒れ野を辿って、カナンの地へ入るということを経験しました。それは四〇年という長い年月でありました。エジプトを出てきたときに大人であった人たちは、荒れ野で死に、一世代が代わるという時間でした。この四〇年は、道なきところをさ迷っていたときと言った方が適切な表現なのかもしれません。

荒れ野をさ迷って四〇年。その四〇年間、イスラレルの民は、モーセを通して語られる神さまの言葉を頼りにして歩むしかありませんでした。いいえ、神さまは、最初からそうやって、ご自分の言葉を糧にし、道として導こうと、イスラレルの民をエジプトから導き出したのかもしれません。ですから、その荒れ野では、人が、自分たちの判断で金の子牛を作って、目に見えてそれらしきものを作って頼ろうとしても、無用なものとされました。人が、自分の計算や知恵でもって、これだ!という道を作っても、そられは実際に通る道にはならなかったのです。

そんな彼らに、モーセを通して十戒の律法が与えられます。神の民は神の言葉によって生きるものである。神の民は、神が作られた道を通って歩むのであるということ。道なき荒れ野を歩む人の歩みとは、そういうことが求められるのです。荒れ野での歩みには、人間の見解や力がまったく届かない、たとえその歩みが遠回りのように思えても、ひたすら神さまの導きに身を委ねるしかない、そこが荒れ野での歩みであるということ。

ところが、時代を新しいくし、あの荒れ野の世代から何世代も経て来て、荒れ野の経験は、もはやイスラエルの民には忘れられ、道しるべとして与えられた神の言葉は人の生活を決める規範のように教えられるような時代を生きる人々の心は渇き果てていました。ローマの植民地下での苦しみも加え、どう生きたらいいのか、人生の羅針盤が止まってしまったそんな時代。そんなところで、本日、マルコは、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」というスローガンを掲げながらその福音書を書き始めています。そして、いちばん初めに出すカードは、イスラレルの人たちにはもはや忘れられ、捨てられてしまった荒れ野、そこで活躍するパプテスマのヨハネでした。

パプテスマのヨハネは、旧約聖書の言葉を背景にしながら荒れ野に現れる人物であります。彼の暮らしは異常なほど普通の人々とは異なる、変人のような暮らしをしています。しかし、そんな彼のところに、思った以上に人々が集まってきます。本日のマルコの言葉では、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」(5節)と述べていますから、ヨハネは大勢の人から人気を得ていたことがわかります。

なぜ、ヨハネは人々に人気を得ていたのでしょうか。一つ、考えられるのは、彼は、人々がとっくに昔に捨ててしまったイスラエルの荒れ野の時代を思い起こさせる働きをしていた、ということでありましょう。彼の姿は、旧約の預言者エリヤに似ていて、人々は彼を預言者エリヤが甦ったのだと信じるほどでした。預言者エリヤは、イスラレルの民にとって、メシアの先駆者として、メシアが現れるときに先立って人々にメシアの到来を告げる人であると期待されていた人です。

それが、旧約聖書の最期の書物として治められているマラキに書かれています。「23 見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。24 彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。」(マラキ3:23~24)。

預言者エリヤに似ているヨハネを見て、人々は、このマラキの言葉を思い起こしたのでしょうか。そしてこの人に行けば、この人を通してメシアに会えると思ったのでしょうか。
実際、ヨハネは、「《7 わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。》」(マルコ1:7~8)と人々に述べて、自分がメシアではなく、来るべき方メシアの先駆者であることを示します。
そのヨハネのところへ「ユダヤの全地方とエルサレム」から人々が集ってきていた、と。そして彼らは「ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受け」ている、と。

ここで、私たちは、マルコが語る荒れ野のことを注意して受け止めなければなりません。マルコがこの一章のはじめに記す荒れ野とは、猛獣たちが住み、野生のものが生えていて、雨が降らないところ、命が生きられないところと思い浮かべるような、地理的に位置づけられる荒れ野のことではありません。そうではなく、イスラレルの人たちが、昔に、神さまの言葉一筋で生き、導かれ、そして死んでいったその荒れ野。そう言う意味では、人の人生のもっとも苦しいところを指しているのかもしれません。神さまにより頼むしか生きるすべがなく、切実ないのちが風の前に灯っているともし火のように消えつつあるところ。そして実際消えてしまうそこだけど、しかし、本当の意味で心が満たされていたその時。
本日、ヨハネの下に集まってきている人たちは、この荒れ野を取り戻されたのではないでしょうか。そして早速「罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」と。荒れ野なのに、四方から敵に攻められて、生きるに厳しい荒れ野なのに、神の言葉が聞こえる、福音が聞こえてくるということ。人々は、そこで悔い改めているのです。悔い改めているとは、神の言葉が人間の中に入ってきたということであります。

マルコは、≪神の子、イエス・キリストの福音のはじめ≫という言葉で持ってこの福音書を書き始めながら、荒れ野を提示することを通して、待降節第二主日を迎えて、二本目のアドベントろうそくを灯している私たちに問いかけています。あなたが今いるところは荒れ野ではありませんか。もしかしたら、その荒れ野を捨てようとこの世と妥協していたりはしないでしょうか、と。神の言葉よりも頼りになるもの、それらしく見えるものでもって人生の歩む道を作ったりしていないですか、と。

あれもこれもこの世のものを両手に握っている限り、神の言葉をつかむ手はいつたっても空きません。一つ、そしてもう一つ手放して見て、そこでやっと見えてきたり、聞こえてきたりするもの。その声をだいじに納める器でありたいです。 12月だから、きっと頭の中もあれもこれも終えなければといっぱいなのかもしれません。そのあれもこれもを一つ、そしてもう一つ、やらなくてもいいと言うふうにして自分からおろす。そこではじめて主の声は聞こえてくるのではないでしょうか。主の声が聞こえる道が作られる間のない歩みを、このアドベントには止めたいです。

来るべき救い主の来られる道は、この世の価値観の中で気づき上げられたものや力を通して作られたところからでは来ません。そうではなく、それらが一つ二つと意味なく思えて自分自身に絶望していくそこへ、いのちまで差し出して私を活かそうとする情熱の神、救い主は、やってきてくださるのです。この方が、今、もうすぐ近くまできておられます。さあ、道を作りましょう。






聖書


 マルコによる福音書1章1~8節
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。 2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。 3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、 4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」